デザイナー今昔物語 | RYUの生き方、逝き方

デザイナー今昔物語

中森明菜という歌手がいる。

彼女の曲の作詞家を見ると面白い事が解る。

「少女A」売野雅勇

「ミ・アモーレ」康珍化

「セカンド・ラブ」来生えつこ

「DESIRE」阿木燿子

「SOLITUDE」湯川れい子

「飾りじゃないのよ涙は」井上陽水

この中で売れ続けれいるのは 井上陽水だけだ。

なぜか?

クリエイターは、天才を除いて時代と一時期しか寄り添えないからだ。

うちの会社も平成4年株式会社として創設以来、企業、店舗のシンボルマークなどのデザインも手がけているが、創設当時からのデザイナーはいない。

一つの例をあげると片山(仮名)というデザイナーが創設当時いた。

あの頃はPCもデザインには適応するものがまだなく、いわゆる切り張り(色々な色の厚紙を小さく切って黒の背景に貼って完成させる。)だ。

彼の得意とするものとは、三菱の菱形ロゴの様にきっちりしたデザイン。

そのうちMacintoshが入ってきてデザインのやり方も、変わった。

俺は彼にPCの教室に通う様勧めたが、彼は頑なにそれを拒んだ。

そうこうするうちに関西の方なら分かるかと思うがFM802のロゴの様なヘタウマデザインが流行りだした。

片山のデザインをクライアントに持って行っても反応が悪くなった。片山には芸大出のアシスタントを付けていた。

彼女はヘタウマデザイナーだった。

ある時、クライアントに片山のデザインを見せ好感触で無い時、思い切ってアシスタントのデザインデザインを見せると一発OKだった。

才能が時代と寄り添う時は一瞬だ。

でもこのアシスタントは、作詞の世界でいうと井上陽水の様なもので、今ではデザイン室長だ。

休みになると街をうろつき「今を呼吸してる」らしい。

片山は有限会社の資金を出してやり独立し、うちを去った。

哀しいビジネスの現実だ。

俺は一貫して社長業の他はコピーライターだ。

俺はこの業界しか知らないので、皆さんの仕事(主婦の方は家事の)の苦労話、簡潔でいいので聞かせて下さい。