五島列島というと、太公望の面々は嬉々として口を揃える。
「いいねえ~ どうしてそんないい故郷を出たの?」
住んでいるからといって、毎日釣りばかりしていられるわけもない。
生活するには働かなくてはならぬ。
働くには職場がなくてはならぬ。
役場の公務員でさえ、コネが大きく影響する田舎町だ。
かといって町の商店は家族経営だし、農協はそれこそ農家に親戚でもいないことには採用されっこない。
銀行は家の資産が物を言うし、国家公務員には結局転勤がついてまわる。
女の細腕 (ツッコまないように!) 一本で家族をやしなっていくには、なんとも条件が悪すぎる。
養ってくれる相手がいればいいのだと言った人もあったが、高校卒業したてくらいで顔見知りとの結婚なんて考えられるものかと強く返したい。
我が家は四人姉妹だが、そのうち三人までが大阪以東の企業に就職をした。
残る一人は銀行に就職し地元に残ったが、それもこれも彼女 (姉1) がすこぶる優秀かつ外面が良かったからできたことである。
観光するには良い町で、ましてや釣り人には堪らなく魅力的な海の町。
しかし都会に生活してみると、やはり島の町は快適に住むには適していないと思う。
何かを習得するにも、仕事を休んで船か飛行機に乗らねばならない。
商店の品物は異常に高価で、在庫品は保存状態がいいとはいえない。
家賃・光熱費は安上がりかもしれないが、物価はむしろ高いし、たまのレジャーにやたらと元手がかかるのである。
両親が田舎の病院では手に負えない病に伏したため諫早市に引越し、同時にわたしも勤めていた会社を辞めて大阪から長崎県へと戻ってきたが、あの町に住むことにならなかったことには正直安堵した。
そんなわたしでも、郷愁というものがないではない。
たまに夢に見るのは、小さい頃を遊んで過ごした防波堤であり、水平線を望む海原の景色である。
満ち潮が寄せる磯の風景には、必ずと言っていいほどサメが悠然と泳いでいる。
実際にそういうことがあったのかどうかは定かではないが、幼い頃のあの海に、なぜかサメの姿は付き物のようにある。
恐怖は微塵もなく、ただ懐かしく、なぜか癒されるのだ。
両親も相次いで他界した。
わたしはもう、あの町に望んで帰ることはないだろう。
たとえ帰る機会があったとしても、郷愁を覚えるあの海の風景は、もうあの町にはないのである。