梅雨である。


雨ばかりが続くというのは気分が滅入りがちになるのは仕方ないが、梅雨というのは日本らしい、いい季節だと思っている。

色のない季節のイメージがあるが、実際には紫陽花も菖蒲も、雨が降らなければ決して美しく咲いているとは言いがたい。

雨の滴に彩られてこそ、映える存在があるのもまた事実。

秋に黄金の実りをもたらすのも、またこの季節あってこそだ。



梅雨というと思い出すのは、傘にまつわる失敗である。


わたしたちが子供の頃は、傘は安価なものではなかった。

今でこそビニール傘が主流であるかのように便利に使われ、100円均一ショップにもそこそこの傘が並ぶようにもなったが、わたしが小学校の頃までは、子供用の傘とはいえ1000円や2000円は当たり前のようにしたものだ。


わたしは、買ってもらったばかりの傘をぼろぼろに壊してしまったことがある。


入梅したばかりの時で、登校時に降っていた雨が、下校時にはすっかり止んでしまっていた。

買ってもらったばかりの傘をたたみ、先の金具で地面をこすりながら帰った。

1キロちょっとの通学路、自宅近くで気がついた時には、短い金具がすっかりなくなり、傘の先端がぼろぼろに破れてしまっていた。


我が家は貧乏所帯であった。

この傘ひとつ買ってくれるのも、家計にとってはかなりの痛手であったはずで、わたしにもそれは十分に判っていた。


帰れなかった。


母はたぶん怒らないだろう。

しかし、傘を見る一瞬の、悲しそうな表情だけは子供にも想像できる。


そのまま海岸まで歩いて、ひとりで泣いた。

泣いてもしょうがないのだけれど、それしかできない年齢でもあった。


夕方になって姉か父に探し出されたのだろうか、ことの顛末はよく覚えていない。

でも、当時のことを思い出すと今でも申し訳なさに涙がこぼれる。








雨にイキイキと咲く紫陽花を見ると、毎年あの日の自分を思い出してしまうのだった。