予想もしない場所に危険が潜んでいることがある。
いや、現在の世相の話しではない。
わたしにそんな重いテーマは処理するキャパはない。
わたしが言うのは、家の中の危険要素のことである。
中学校の頃、家の一室を改装していた時期があった。
わたしが自室へ行くまでの動線となっているその部屋には、どういうわけか高い仕切りが存在した。
正確に言うと、わたしの部屋との境のみが高い仕切りになっている・・・いま思えばわたしを隔離しようとの目論みだったかもしれない・・・のだった。
その日も部活を終えて帰ったわたしは、まず自室で着替えを済ませ、ペコペコのお腹を早く満たしたくて、部屋の仕切りを鼻歌まじりに元気よく飛び越えた。
そう。
飛び越えたのだった。
着地した隣の部屋には、大工さんが置き去りにして行った材木が転がっていた。
そのひとつに、釘が刺さったままだったことには気がついていなかった。
裸足の親指に、激痛が走る。
マンガで表現するところの <点線のふきだし> に <濁点つきの“あ”> 。
そんな状況だった。
が、幸か不幸か、身体は踏み込むと同時に前進するモードに入っている。
刺さった釘は一瞬にしてわたしの足から離れた。
あとは流血である。
心臓が足の親指に移動したが如き拍動である。
いわゆる <けんけん> で居間に入ったわたしを、父は容赦なく叱りとばした。
母は黙って、父の道具箱から金槌を持ってきた。
わたしのケガには慣れっこな両親なのである。
母は救急箱を取りに行き、父は手渡された金槌でわたしの傷口を打つ。
「痛いっ!」
「これだけ深く釘が刺さってるんだから痛くて当たり前じゃ」
傷の中に残った錆を流さなければ、破傷風になる可能性があるという。
とにかく最終的にはものすごい流血状態になってしまったが、誰かが慌てふためくでもなく、医者に行くでもなく、消毒してガーゼを充てたあとは普通の夕食風景に戻ってしまった。
家の内外に限らず、子どもの頃は毎日ケガばかりしていた。
遊び場が山が磯ばかりだったことも一因だろうが、煙と同じで高いところに登りたがり、海には入りたがり、動物には触りたがる即効決断型の好奇心が、ケガの要因を多くしていたように思う。
その無鉄砲な性格はいまもあまり変わりはないが、このスカスカの脳にも多少の学習機能が備わっているらしく、大きなケガはしなくなった。
子どもの頃に一生分のケガをし尽くしたのかもしれない。
それでも、わたしはこうして、どっこいピンシャン生きているのだった。