身体障害 | 阿部定にもなれない

身体障害

彼がどうして身体障害者になったのか、

いつからか、

どこがどう悪いのか、


聞きづらくはなかったけど、

たとえば、

出身地や、年齢や学歴や家族のこと・・・・

人と知り合った時、わざわざ聞いたりしないように、


自然と話をしているうちにわかることであって、

それも自分にとってどうでもよくて、全く興味のない人なら、

当たりさわりない話ばかりで、どういう人かなんてわからないまま。


私の場合、好きな人であっても、

目の前のその存在以外は、さほど興味がない。

目の前の彼は、土地や家族や学校や仕事や人間や障害や

これまでのいろんなことがあっての彼だから、

敢えて知ろうとも思わなかった

(私は、人の携帯を絶対覗かない。)


であった頃の彼は、彼の障害というより、

障害について、広くいろいろな話をしてくれた。


話を聞きながら、面白いなと思ったのは、障害者はひとりひとり違うってこと。

当たり前のようだけど、そんなこと、わざわざ考えることでもないしね。

だって、「障害者」ってことばは、どんな障害者もひとつにくくってしまうから。

それも、あくまでも、ただのイメージで!!


実際は、制度としてもひとつにくくられていないし、

団体としても、つい最近になって、やっと全国規模でひとつにまとまったほどで、

ひとりひとりなんて、本当にバラバラ。


ひとりひとりがバラバラっていうのは、

たとえば、先生、

たとえば子育てママ、

いろんなものに置き換えればわかりやすいかもしれない。


幼稚園の先生、大学の先生、塾の先生、男子校、女子校。

一人っ子と子だくさん、男の子の親と女の子の親、専業ママと働くママ。

とかね。


どんなものかは、自分がなってみないとわからない。


車イスの人が言いました。

「目が見えないのが一番かわいそうだよ。目から入る情報ってすごいでしょ、面白いでしょ。」

目の見えない人が言いました。

「車イスが一番かわいそうだね、行きたい所に行かれない。狭い所は行かれない。小さな段差でもそこから先に進めない。」


人の方が大変に見えて、自分の方がマシかな、幸せかなって考えられるならいいけど・・・。

彼は違ってた。