長持ち唄のルーツを調べていたことでビッグ待遇を受けて

 鉾船に乗せて頂きました。花火を打ち上げる瞬間の

 ド~ンという体感は今でも忘れられません。

 

 以下は当時のブログ

「向こう通るは行者じゃないか、お泊りなるなら

泊まりゃんせ」 と歌詞にもあるように、岡崎宿には

本陣3、脇本陣3軒、旅籠屋112軒があったと

いわれている。


(天保年間:1830~1843年の記録)これは

東海道の宿場中第3番目の規模にあたり,これらの

施設は伝馬町に集中していた。


 岡崎宿には大宿に3人、中宿に2人、小宿に1人に

飯盛り女がいた、という記録があり

「岡崎女郎衆はよい女郎衆」と小唄として唄われ

街道でも評判で、大繁盛したそうである。

「伊勢音頭」は伊勢街道から東海道を通って岡崎の地で

「花火道中歌」として受継がれている。


 帰りの道中歌には、遊郭からみの歌詞も多く花火が

終れば若い衆がど~っと花街に繰り出して楽しかった

なア~と昔をしのんでいる長老もみえた。


 パーソナリティーの(たのあやさん)がいってた様に

長持ちを担いでいる人達も伊勢音頭のテンポは意外な

ことに行進曲として歩調を合わせやすいとのことだった。

 こうして箱根駕籠かき唄も伊勢音頭も、数百年の

時代をこえてこうして今の時代に残っていて、

引き継がれてきましたが、話に食い違いがあると

いけないので、

 

 前日に菅生神社と氏子代表だった人のお宅を訪ねて

いったら、担い手が段々いなくなって永続出来ないかも

知れないという声を聞いて大事な文化遺産をなくさない

様にしたいなぁ~と痛感しました。
 

#花街#伊勢街道#