この時代何があったか?
皆さんご存知の関ヶ原の合戦が1600年
(慶長五年)で名古屋城が出来たのが1610年
(慶長17年)その時から天守に金の鯱が鎮座
いたしました。
1867年(慶応3年)大政奉還、1868年明治維新
明治元年となったけど新政府はお金がないから、
1871年(明治4年)ひとまず宮内省へ献納され
潰される運命が待っておりましたが、
雄が1972年に国内の湯島聖堂博覧会
雌は1973年にウイン万博に出品され
大評判となったので潰すには勿体ないと
危うく難を逃れたという話が残っています。
その時の金鯱の悩み苦しみがこの甚句に
込められております
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伊勢はヤ 津でもつ津は伊勢でもつ
ア~ドスコイ ドスコイ
尾張ヤ 名古屋は城でもつ
ア~ドスコイ ドスコイ
本唄
尾張名古屋の金の鯱の
あわれを聞けばヨ~
ア~文明開化の世となりて
高い天守から下ろされて ホイ
車にまきまき縄をかけ
東京までも送られて ホイ
博覧会にと差し出され
あまたの人にあれが金の鯱鉾
金の鯱鉾と指さされ ホイ
こんなに馬鹿げたことはない
ものの終り(尾張)で帰ろうか
それとも二人で死んでしまおうかと言えば
一人の鯱の言うことにゃ ホイ
お前と二人で死んだなら
人はあれはシンチュウ(真鍮)だと
ヨーホホイ アー笑うだろうヨ~
アードスコイ ドスコイ
ア~五重櫓の天辺で ホイ
金の鯱鉾雨ざらし ホイ
嵐が来ようが地震が来ようが
ここに鯱(さち)あり青い空