毎年この季節になると忠臣蔵である。苦労して主君の仇討ちをした赤穂浪士のことは

 日本人は好きですね。岡崎に隣接している吉良上野介に肩をもつわけではないけれど

 浅野家五万石の君主だったら内匠頭も家のこと、家臣のことを考えて辛抱我慢をしないと

 いけないよね。 本当か嘘か分からないが浅野内匠頭はこんな性格だったそうだ。

 

  ・吉良の手当てをした栗崎道有の『栗崎道有記録』は、浅野長矩は癇癪持ちであった。

  ・同時代の儒学者室鳩巣は著作『赤穂義人録』の中で「長矩は人と為り強硬で頭を

   下げることを好まない性格であったと記している。

  ・享保2年(1717年)生まれの旗本・伊勢貞丈が書いた『四十六士論評』には、

「浅野内匠頭が弟大学は、延享寛延の頃まで存命にて、予が相番にて、
御小姓組を勤めたりき、其談しを聞しに、内匠頭は性甚だ急なる人にてありしとぞ、
吉良へ賄賂を贈るべしと家臣勧めけれども、内匠頭用いずして、武士たるもの追従を
もつて賄賂を贈り、人の蔭をもつて公用を勤むべき事に非ずと云ひけると云う、又
大石が自筆の其時の日記少しばかりありしを、予見し事もありき」とある。