民謡、相撲甚句、大相撲が大好きです。
昨日は来年5月17日(日)に開催される熊本県人会創設30周年記念総会の打合せに行ってきました。1,三河相撲甚句会のプロフイール2,日常活動(相撲甚句の伝承と普及)3,相撲甚句演目案について
仕事の打合せで名古屋のマリオットホテル15階に行きました20年以上も名古屋に行っているけど栄のNHK放送センターしか行かないのでマリオットホテルはどこだっけ?場所が全然分からない(^_-)-☆三河相撲甚句会も1999年に立ち上げて色々なテレビへ出してもらったりイベントで頑張っているけどまだまだ認知されていませ~ん2008年~エフエム岡崎((現)EGAO)の「なっちのこと音」に出して頂きました引き続き三河相撲甚句会の「あぁ~どすこいどすこい」で相撲甚句を聞いた頂いています。今の番組をお聞きください。エフエムEGAO愛知県西三河地方のコミュニティFMです。 2021年4月1日にFMおかざきから改名しました。 番組はFM周波数76.3MHz/Listen Radio(リッスンラジオ)で聴く事ができます。www.youtube.com
三河相撲甚句会「あぁ~どすこすどすこい」の1月は三味線を入れて二上り角力甚句とアンコで相撲甚句が入った淡海節をやります。幕末から明治にかけて流行ったとされる角力甚句、昭和初期には名古屋甚句でも、この様な歌詞が唄われていたのが段々分かってきて興味がつきません。本調子よりも軽快な二上りの調弦で歌われる甚句。かつての花町で盛んに歌い、踊られた1曲で、「浅い川なら、膝までまくり」という所では、酔客が踊る芸妓達の裾を上げさせたという。夜遊びの文句の中に力士が登場し、別名「角力甚句」呼ばれる。 その歌詞を相撲とりが、お座敷で覚えて地方巡業などで、流行らせたもので、レコードに吹き込んだものも角力甚句といって芸者さん達が吹き込んだものです。端唄 二上り角力甚句 ♪ サア 芝で神明 湯島で杉の森 ここは両国 晴れの場所 *アゝ ドスコイ ドスコイ* ♪ サア 櫓太鼓に ふと目を覚まし 今日はどの手で 投げてやろう *くり返し* ♪ サア お角力さんには どこがようて惚れた 稽古帰りの 乱れ髪 *くり返し* ♪ 角力にゃ 負けても ケガさえ なけりゃ 晩にゃ 私が 負けてやろ *くり返し*
仕事の合間にいろいろと考えるんです。これだけ年齢を重ねてくると、歯、目、○○というけれどそれだけじゃなく体力の衰えは目に見えてくる高血圧、足裏の痺れ、泌尿器科、便秘の薬時どき飲むのが眠り薬に痛み止めここまで生きてきたら仕方ないね最近困っているのは、夜中におしっこで目が覚めること泌尿器科に先生の言うには二回まではなら大丈夫たってさ。ただおしっこに行きたくなった時に直ぐに行かないとブレーキが利かないのです昨日も布団から飛び出したら孫が入っていたので、間に合わずにいつものパタンでコンビニ袋で間に合わせているそうはいっても筋トレに行ったり日課の散歩、ボイトレはやってるよ(笑)
松下幸之助さん、田中角栄さん、本田宗一郎さんのほんの一部を覗いただけだが、名を成した人は ものの考え方や生き方が全然違うんですね。本当に素晴らしい人たちです。人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは、自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。拝む心がなければ、人は動かない。〜 本田宗一郎 〜【6分でわかる】世界のホンダを作った男・本田宗一郎 より
やっぱり「長崎ちゃんぽん」が好きだから スマホで映すよりよりも先に食べちゃって 恥ずかしながらこの始末です。 先月もランチに「金目鯛の煮つけ」食べたけど 一番下の写真にある様に"半ぺら"食べた頃に 思い出してスマホを出す始末です。
昨日はNHK名古屋文化センターの講座が終わって中区錦三丁目の木曽路で忘年会でした。教室でも忘年会でも、放送センター10年以上やったロビーコンサートの会場費用がかかることからこれから発表の場をどこに打って出ようか、さらにSNSの時代となって教室の進め方とか若い人たちをどうやって引き込んでいくか等前を向いた話合いもできた。
今日はNHK名古屋文化センターで相撲甚句の講座が 終わってから木曽路で忘年会です。 2004年1月開講だから明けたら23年目がはじまります。 7~8年前に900講座ある中で 5番目に古いって聞いたけど、どうなっているかなぁ どっちにしても長い年月やれたのは嬉しいです。 元気な体に生んでくれた両親と好きな事を長期間 やらせてもらっているご先祖さんに感謝です。下の人形の名は"連ればり」当地方では「三河の連れしょん」恍惚な表情がなんとも可愛いですね。後ろを向いたらこうなります四国の郷土玩具 をご覧ください。http://kyoudogangu.xii.jp/sikokutosa.htm
「あぁ~疲れたなぁ~」こんな時に一番効果があるのが大好きな郷土玩具を見て楽しむこと50数年前から集めていたんだけど最近は近くにお店がなくなったそれと毎年1~2回行っていた浅草に行かなくなったので増えていないケースに入りきれないので、別に本棚に同居させているけど本人たちは「仲間と一緒に住みたい」と陳情があったけど残念ながら今だ約束が果たせていない 時代は幕末、竹林寺の僧「純信」が規律を破り、はりまや橋の小間物屋で、思いをよせていた「お馬」にかんざしを買ったことがうわさとなり、他国へ駆け落ちしましたが、すぐ土佐へ連れ戻されました。その後二人は引き裂かれ、悲しい運命をたどります。現在土佐で唄われている「よさこい節」は、昔から歌い継がれてきた土佐の民謡よさこい節にこの恋物語を組み込んだものです。ほっかむりした坊さんは張子になっており首がキョロキョロ動く様はなんともいいね。 よさこい節1.土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい2.御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこい よさこい3.言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎより よさこい よさこい
豊田教室に続いて二つ目の忘年会。お酒は飲まないので忘年会、新年会はやってなかったけど、ここ数年は"真面目"にやっています。早々に食べてカラオケタイムはみんな好きだから大盛り上がりやっぱりワイワイやるのもいいね~。17日(水)は名古屋文化センターの忘年会です。
ロシアのプーチン、アメリカのトランプが代表するようにその国の歩いてる道、それが将来どの様な方向に向かうのか予測も出来ない状態にある。田中角栄エピソード268俺は出稼ぎに来ているだけだ難しいことは分からないが角さんは他の候補者の誰よりも地元の誰よりも歩き回って市町村長さえ気付かないほど細かく道路や橋の現状をし自らがそれを指摘し問いかけた中央に出て代議士にさえなれば誰もが地元から心が離れていくが角さんは違った陳情に訪れた人々に対しても秘書任せにはせず自ずから書類に目を通し的確に指示をしたその姿を見て多くの地元民たちは驚きと惚れ直したそうだ。これこそが政治の原点ではないでしょうか
今の政治家をみていると"角さんを見習えっ"て大きな声で言いたい自分じゃ政治家になれないから誰かにやってもらうしかない一番自信がないのが情にもろいこと政治の世界では何だかんだで足を引っ張られ、マスコミに騒がれ叩かれてしまう。行動しないと物事は変わらないが自分の思いをなかなか届けられない大切なことだと思うけどね。【田中角栄】モテたければまず腹をくくれ、覚悟を決めろから
相撲甚句って何! 長い間"こだわって、こだわって、こだわって" 調べてきました由来については、越後の石地の浦の甚九という男の創始したもの、地の句(郷土唄)が「地ン句」と変化したもの、「神供」(神前に奉納した歌舞)の転じたものといった諸説があるもののいずれも不詳上方で流行した踊口説「兵庫口説」に、「ゑびや甚九」という叙事歌謡があり、それが「甚句節」(盆踊唄)として各地に広まったとする説私は長い間民謡をやってきた関係で、江戸時代から伝わるハイヤ節系統か同じく五街道が整備されてきて、庶民がこぞってお伊勢参りをする様になり全国に広がったと考えていたハイヤ節は 当時熊本を中心に唄われていた「二上がり甚句」を奄美から伝わった「六調」という南国特有の熱狂的なリズムで味付けをし、独特の節回しを持つ「牛深ハイヤ節」が誕生したハイヤという名前の由来は、元々"南風"のことを九州では"ハエの風"と呼んでいることが起因で、ハエがハエヤになり、やがてハイヤへと訛っていったと言われている伊勢音頭は 江戸時代の伊勢に起った「伊勢音頭」と呼ばれそれは伊勢参りにおける名所のひとつ、伊勢古市の遊郭で遊女に唄わせた音曲と、もうひとつは現在「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という歌詞で知られているこれといって決定的なものはありません、結局は流行り歌をお相撲さんが唄ったのが相撲甚句なんです。文字数とか形式では分類できません、いい加減というか、アバウトであり、何でもありなんです。逆に言うと、こうして生き抜いてきたとも言えます。"ギブアップ" 詳しい方はどうぞ教えて下さい。甚句(七・七・七・五)• 形式: 七・七・七・五の四句構成。• 特徴: 民謡の一種で、地方ごとに旋律が異なる。越後甚句・ 博多甚句・相撲甚句など地域性が強い。• 内容: 庶民の生活、祭り、労働歌、酒盛り歌などが多い。• 性格: 土着的で素朴、土地の文化を反映。
特定非営利活動法人 京都龍馬会のYouTubeから下の内容についてはAIに教えてもらいました。小唄・端唄・都々逸は 七・七・七・七(あるいは七五七五調)を基調とし、より座敷芸・洒落・恋愛情歌などの粋な要素を持つ点が大きな違いです。都々逸(七・七・七・五)• 形式: 七・七・七・五が基本。ただし「五字冠り」(五・七・七・七・五)など変化形もある。• 特徴: 江戸末期に成立。寄席や座敷で三味線伴奏とともに歌われる。• 内容: 男女の恋愛や洒落、風刺が中心。情歌とも呼ばれる。• 性格: 粋で艶っぽく、都会的な芸能。小唄・端唄(七・七・七・七)• 形式: 七・七・七・七(あるいは七五七五調)。短い歌謡。• 特徴: 江戸時代から座敷芸として発展。三味線伴奏で唄われる。• 内容: 恋愛・洒落・風刺・遊里の情景など。• 性格: 都会的で洗練され、遊芸的。端唄はより軽妙で短く、小唄はやや技巧的。いろいろいってるけど、どんなものでも良い所取りでやっていて皆んなに受けたもの、楽しんでくれたものに段々姿形を変えてきた。逆にそれでなければ残っていけないのです大衆文化というのは受けなければ残らないいい所は残しても形を変えたり変化をしないと残れないので
名古屋七種会会主の家入三津恵先生に、「都々逸の聞ける機会があったら教えて欲しい」とお願いしていたこともあって12月7日(日)名古屋市上飯田の御懐石志ら玉のおさらい会に声をかけて頂きました。都々逸、笛、三味線、特に家入先生の「かっぽれ」は素晴らしかったです。緑春会の小川さんにも久し振りにお会いして話も出来たし、とても勉強になりました。ありがとうございました。当会は、主に端唄・都々逸・三味線・しの笛のお稽古をしているみなさんで創っています。会員は長唄・小唄・民謡のプロから、お稽古は初めてという趣味の方まで老若男女バラエティーに富んでいます。年に一度、食事会を兼ねた発表会をしています。 家入三津恵 ホームページ より
相撲甚句を好きな人がたくさん見えるので嬉しいです。エフエムEGAO愛知県西三河地方のコミュニティFMです。 2021年4月1日にFMおかざきから改名しました。 番組はFM周波数76.3MHz/Listen Radio(リッスンラジオ)で聴く事ができます。www.youtube.com
12月5日(土)14:00~16:00地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里地元岡崎市むつみ地域交流会に参加しました。今回のテーマは「地域のイベント企画について」
民謡、相撲甚句、都々逸、小唄、端唄を分類すると、私の場合民謡は55年、相撲甚句は25年、都々逸は10年程度やっているので、曲名とか、曲調はある程度は分かるけど、小唄、端唄については10曲ほどしか唄えない甚句は基本的に 七・七・七・五 の四句形式というけど、それなら民謡の70%以上がその性格をもっている地方色とか生活感が強い、盆踊り唄、相川音頭など名所、歴上の人物を唄ったような口説き節などは民謡である。もう一つの方向から考えると、戦前から戦後にかけてレコード化されたものをみると、戦前は芸者や歌手が唄ったのはお座敷歌で曲名も角力甚句としたものが多く、お相撲さんが唄った相撲甚句は昭和38年の森の里が唄ったものです。地方巡業は1596年(文禄5年)からあるといわれているが当時は一門単位の小グルーで行われ巡業の中でも相撲だけでは時間がもたないしお客さんを楽しませるためにも余興で「初っ切り」とか「相撲甚句」を唄っていた曲目はお座敷で覚えた、流行り歌とか民謡を唄っていた。近年になって1953(昭和28年)にテレビ放送が始まり1958(昭和33年)には年6場所制になってテレビもが普及したことで大相撲も関心をもたれ相撲甚句も地方巡業で注目されてきた。
代表的な前唄、後唄、本唄、はやし唄があります(「ヤ」 はリズムや旋律を整えるためのもので除外)前唄 ♪土俵のヤ砂付け(8) 男をみがき(7) 錦をヤ飾りて(8) 母待つ国へ(7)後唄 ♪さらばヤここいらで(8) 唄の節をかえて(8) 今もヤ変わらぬ(7) 相撲取り甚句(7) 必ずしも七、七、七、五ではないむしろ秋田甚句や他の民謡の方が多い。秋田甚句 ♪甚句踊らば(7) 三十が盛り(7) 三十過ぎれば(7) その子が踊る(7) ♪わしとお前は(7) 枯葉の松よ(7) どこえ落ちるも(7) 二人連れ(5)相撲甚句の本唄 数え唄 ♪一から十まで(8) 甚句によめば(7)ヨー モノの初めを(7) 一という(5) 車に積むのを(8) 二(荷)という(5) 女の大役(8) 三(産)という(5) 子どもの小便(8) 四(シィー)という(5) 碁盤の上で(7) (字あまり) 白黒競うを(8) 五(碁)という(5) 昔のさむらい(8) 六(禄)という(5) 物の出し入れ(7) 七(質)という(5) 泣きっ面には(7) 八(蜂)という(5) 貧乏するのを(8) 九(苦)という(5) 焼きごてを(5) (字あまり) 水に入れたら(7) ヨーホホイ アー(ジュー)というよ(5) アードスコイドスコイヨーはやし唄 ♪相撲負けても(7) 下駄さえはけば(7) 勝ったカッタと(7) 音がする(5) という訳で、必ずしも、七ではなく八があったり字あまりがあっても唄ってしまいます。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
先代の相撲甚句会会長に聞いたり色々な書籍とかインターネットで調べているが、その時代から生きて知ってる人もいないので本当の所は分からない 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から 相撲甚句(すもうじんく)とは、邦楽(甚句)の一種。大相撲の花相撲や巡業などで披露される七五調の囃子歌である 角力甚句の始まりは、幕末から明治にかけて花柳界で流行した本調子甚句(二上がり甚句)を、相撲取りが巡業で流行らせたものとされる[1]。 この角力甚句から、名古屋甚句、熊本甚句(おてもやん)、会津磐梯山、隠岐島の相撲取り節、熊本のどっこいせ節(一名角力取り節)などが派生した[1]。 かつては土俵の上で相撲の四十八手を見せながら甚句を歌っていたが、現在では行われていない[1]。 相撲甚句には大きく分けて「まくら唄」「本唄」「はやし」があり、まくら唄には「前唄」と「後唄」がある[2]。楽器による伴奏はなく、「ホイ」や「ドスコイ」という合いの手に合わせ、 力士の特徴などを独特の調子で歌う[3]。歌詞は七五調である[4]。現在では、相撲教習所の教養科目として必須科目に取り入れられていた 作品としては「花づくし」「山づくし」「出世かがみ」が有名である。 幕下以下の力士が甚句を披露する場合、関取から化粧廻しを借りて着用する(大銀杏は結わない)