民謡、相撲甚句、大相撲が大好きです。
唄は水野詩都子さんです。名古屋甚句 ー日本民謡大観 日本放送協会出版ーわれわれ民謡の世界ではバイブル的存在の資料によると名古屋甚句について【蟹江尾八 発掘・採譜曲】 | 民謡・端唄 唄と三味線【蟹江尾八会】 名古屋甚句 「まくら唄」 ハァーエ鯉のや鯉の鯉の滝登りゃ何というて上るエー 山を川にしょうとコリャいうて上るエー アーさらばエーこれから甚句を変えてエー 今のヤー流行のストトコ節でも エー聞いておくれエー 「本唄」 ハァ~宮の熱田の二十五丁橋でヨー アー西行法師が腰をかけ 東西南北見渡して これほど涼しいこの宮を 誰が熱田とヨーホホイ アー名をつけたエー トコドッコイ ドッコイショ 名古屋の芸者衆がお座敷唄としてうたってきたのが、この 名古屋甚句である。この唄の源流は江戸時代末期に花柳界を 中心に大流行した「本調子甚句」の「そうじゃおまへんか節」 が名古屋化したものである。 ところが明治になって名古屋市在住の岡本美根太夫という 新内語りが、「説経節」を加味した「源氏節」を編み出し、 その唄を下座がわりにして、各地で「源氏芝居」を興行して 廻った。そしてその幕間に「名古屋甚句」を面白可笑しくう たい、時には謎解きの歌詞まで作ってうたってみせ、人気を 集めた。 その後名古屋の花柳界に「かぎ」と呼ばれる「名古屋甚句」 の名手が現れ「名古屋甚句のかぎ」で「甚鍵」の名で大評判 をとった。それ以来「甚鍵流」の節回しが広まり、さらにそ の跡を継いだ名妓荒川ふくの唄で「名古屋甚句」の節回しは 固定された。そして「甚鍵流」の正統派を受け継ぐ老妓の甚 登代子がお座敷唄として演唱したのがのこっている。 この民謡大観では、相撲甚句との係わりについては述べて いないが、形としては「まくら唄」は「前唄」「後唄」に分 けられているし、本唄の最初は七七、あとは七五調(八五も ある)になっていて相撲甚句とよく似ている。 ただし相撲甚句では七七七七になっているが、名古屋甚句 の前唄は。。アーアエー鯉のヤー鯉の滝のぼり。。字あまり 「本唄」相撲甚句 「西行法師」 アーアーエー西行法師が初めて東に下るヨー 途中尾張の国で名も高い 熱田の宮へと参詣する それで法師の言うことにゃ 東を向いても風が来る 西を向いても風が来る こんなに涼しいこの宮を 誰が熱田と名を付けた そこへ神主飛んで来て もしもしそこな法師どの 西に行く人 なぜに東にやって来た そこで法師の申すには 一羽の鳥でもニワトリと 一つの物でも饅頭よ 一枚の紙でも半紙という 白という字も墨で書く 赤く咲いたるこの花を 誰がアオイとヨーホホイ アー名を付けたヨー
年が明けたらすぐ85歳です。今年初めて出会ったのが松下幸之助さん動画でした。去年の暮れに何回か動画を見て心に刺さったというのか魂を揺さ振られました今更ながら松下さんの偉大さに心が洗われます。父が86歳、母が89歳でしたもうすぐです。松下さんの言葉を胸に刻みながら残りの人生を悔いのないものにしていきます。ぜひ最後までお聞きください。成るほどと思う所をメモっていたら何と4時間かかったけど、気持ちがすっきりしました。私も85年生きて来たけど、知らないことをいっぱい教えて頂きました。感謝です。2026年1月1日から「ありがとう」を連発する。心に誓いました。
何にでもこだわる性格なのでいろいろ勉強してしてきたけど唯一かじらなかったのが、この江差追分だった相撲甚句をやっていて前唄・本唄・後唄があるのは民謡では江差追分になります。前唄国をはなれて 蝦夷地が島へヤンサノェー幾夜寝覚めの 波枕朝なタなに聞こゆるものはネ~友呼ぶかもめと 波の音本唄かもめの 啼く音に ふと目をさましあれが蝦夷地の 山かいな後唄沖でかもめの 啼く声聞けばネ~船乗り稼業は やめられぬ相撲甚句の前唄は1分前後本唄は2分~長くても3分程度はやし唄は20秒前後だから江差追分はとても長いですね。
今回のゲストは豊田中日文化センターの村松典子さんです。新年ということもあって、幕末から明治にかけてお座敷で唄われたという相撲甚句入りの淡海節と二上り相撲甚句を聞いて頂きます。淡海節相撲は打ち出し 相撲とりゃ帰る後に残るのは 土俵と砂手桶に ヨイショコショ~紙と水と塩ヨ~辛い商売相撲とり稼業朝も早よから起こされて♪ア~ドスコイ ドスコイア~玉の汗散る あの猛稽古ヨ~ア~ドスコイ ドスコイア~苦労に苦労を重ねつつ幕下 十両 幕内ととんとん拍子に出世して晴の横綱土俵入り ホイその日夢見て ヨイショコショ~今日の土俵で鬼となる相撲甚句コーナの紹介数え唄一から十まで甚句によめばヨー(アードスコイ ドスコイ)ア~アものの始めを一という車に積むのを二(荷)という (ホイ)おてんとうさまを(三SAN)というないしよ話は(四シー)という (ホイ)「碁盤の上で」白黒競うを五(碁)という昔のさむらい六(禄)という物の出し入れ七(質)という (ホイ)泣きっ面には八(蜂)という貧乏すること九(苦)という (ホイ)焼きごてを水に入れたら ヨーホホイア~ア十(ジュー)というよー(アードスコイ ドスコイ)2026年1月3日(土)12:00~12:30 初放送後は土・日の再放送になります。
「前唄」土俵の砂付け 男をみがき錦飾りて 母待つ国へ「後唄」さらばヤ ここらで唄の節変えて今もも変わらぬ 相撲取り甚句「本唄」当地興行 当地興行も 本日限りよ ハァードスコイ ドスコイ ア―勧進元や世話人衆 ご見物なるみな様よ ホイ いろいろお世話になりました お名残り惜しゅはそぅらえど ホイ 今日はお別れせにゃならぬ われわれ発ったるその後は お家繁盛町繁盛 ホイ 悪い病の流行らぬよう陰からお祈りいたします ホイ これから我々一行は しばらく地方ば巡業して 晴の場所で出世して ホイ 又のご縁があったなら 再び当地に参ります その時ゃこれに勝りしご贔屓を どうぞひとえにヨーホホ アー願いますヨー アードスコイ ドスコイ 「はやし唄」 アー折角なじんだ皆様と ホイ 今日はお別れせにゃならぬ ホイ いつまたどこで会えるやら ホイ それともこのまま会えぬやら ホイ 思えば涙がパラリ パラリと アードスコイ ドスコイ
お客さんが分かる内容に変えてみました。出世鑑出世鑑を甚句にとけばヨー ア~ドスコイドスコイ落語で名前をあげたのは三平談志に志ん朝か ホイ漫才で名前をあげたのはやすしきよしにツービート ホイお笑いで名前をあげたのはドリフターズに欽どんかたけしにさんま ぶらタモリ ホイ今も輝くビッグ3映画で名前をあげたのは ホイ渥美清か(寅さん)裕次郎か 女優は吉永小百合ちゃん演歌で名前をあげたのは ホイ美空ひばりかサブちゃんかメジャーで名前をあげたのは ホイ野茂かイチロー翔平か 相撲で名前をあげたのは大鵬柏戸千代の富士 ホイ兄弟横綱若貴か 今じゃ人気のヨーホホイ 大の里ヨー ア~ドスコイドスコイ
淡海節のアンコで相撲甚句が 入ったものがあったけどいくら探しても出てこないたまたま私の場合は民謡をやっていて相撲甚句をやっているものだから、これが好きで唄っているいくら探しても出てこないんですよ。😂これは相撲甚句は入っていません。志賀廼家淡海「淡海節 」www.youtube.com淡海節 淡海節は志賀廼家淡海が1917年(大正6年)、熊本の大和座の劇中で「ヨイショコショ節」を初めて唄い、 それがファンによって「淡海節」と呼ばれ日本の庶民層、花柳界などでも大いに受けた劇中歌の一つである。 現在では淡海生誕地の滋賀県大津市堅田で民謡化され、1984年(昭和59年)に淡海節保存会が結成された[2]。 2番に ♪相撲ははけるし 相撲とりゃ帰る あとに残るのは 四本柱に 土俵と砂 手桶に ヨイショコショ 紙と水と塩よ淡海節(相撲甚句入り)♪相撲ははけるし 相撲とりゃ 帰る あとに残るのは 土俵と砂 手桶に ヨイショコショ 紙と水と塩よ♪つらい商売 相撲とり稼業 朝もはよから起こされて(相撲甚句) あぁーーーぁぁエーー 玉の汗散るあの猛稽古 あぁーーぁぁぁ 苦労に苦労を重ねつつ 幕下 十両 幕内と とんとん拍子に出世して 花の横綱 土俵入り その日夢みて ヨイショコショ 今日も 土俵で鬼となる
昨日は来年5月17日(日)に開催される熊本県人会創設30周年記念総会の打合せに行ってきました。1,三河相撲甚句会のプロフイール2,日常活動(相撲甚句の伝承と普及)3,相撲甚句演目案について
仕事の打合せで名古屋のマリオットホテル15階に行きました20年以上も名古屋に行っているけど栄のNHK放送センターしか行かないのでマリオットホテルはどこだっけ?場所が全然分からない(^_-)-☆三河相撲甚句会も1999年に立ち上げて色々なテレビへ出してもらったりイベントで頑張っているけどまだまだ認知されていませ~ん2008年~エフエム岡崎((現)EGAO)の「なっちのこと音」に出して頂きました引き続き三河相撲甚句会の「あぁ~どすこいどすこい」で相撲甚句を聞いた頂いています。今の番組をお聞きください。エフエムEGAO愛知県西三河地方のコミュニティFMです。 2021年4月1日にFMおかざきから改名しました。 番組はFM周波数76.3MHz/Listen Radio(リッスンラジオ)で聴く事ができます。www.youtube.com
三河相撲甚句会「あぁ~ どすこすどすこい」の1月は三味線を入れて二上り角力甚句とアンコで相撲甚句が入った淡海節をやります。幕末から明治にかけて流行ったとされる角力甚句、昭和初期には名古屋甚句でも、この様な歌詞が唄われていたのが段々分かってきて興味がつきません。本調子よりも軽快な二上りの調弦で歌われる甚句。かつての花町で盛んに歌い、踊られた1曲で、「浅い川なら、膝までまくり」という所では、酔客が踊る芸妓達の裾を上げさせたという。夜遊びの文句の中に力士が登場し、別名「角力甚句」呼ばれる。 その歌詞を相撲とりが、お座敷で覚えて地方巡業などで、流行らせたもので、レコードに吹き込んだものも角力甚句といって芸者さん達が吹き込んだものです。端唄 二上り角力甚句 ♪ サア 芝で神明 湯島で杉の森 ここは両国 晴れの場所 *アゝ ドスコイ ドスコイ* ♪ サア 櫓太鼓に ふと目を覚まし 今日はどの手で 投げてやろう *くり返し* ♪ サア お角力さんには どこがようて惚れた 稽古帰りの 乱れ髪 *くり返し* ♪ 角力にゃ 負けても ケガさえ なけりゃ 晩にゃ 私が 負けてやろ *くり返し*
仕事の合間にいろいろと考えるんです。これだけ年齢を重ねてくると、歯、目、○○というけれどそれだけじゃなく体力の衰えは目に見えてくる高血圧、足裏の痺れ、泌尿器科、便秘の薬時どき飲むのが眠り薬に痛み止めここまで生きてきたら仕方ないね最近困っているのは、夜中におしっこで目が覚めること泌尿器科に先生の言うには二回まではなら大丈夫たってさ。ただおしっこに行きたくなった時に直ぐに行かないとブレーキが利かないのです昨日も布団から飛び出したら孫が入っていたので、間に合わずにいつものパタンでコンビニ袋で間に合わせているそうはいっても筋トレに行ったり日課の散歩、ボイトレはやってるよ(笑)
松下幸之助さん、田中角栄さん、本田宗一郎さんのほんの一部を覗いただけだが、名を成した人は ものの考え方や生き方が全然違うんですね。本当に素晴らしい人たちです。人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは、自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。拝む心がなければ、人は動かない。〜 本田宗一郎 〜【6分でわかる】世界のホンダを作った男・本田宗一郎 より
やっぱり「長崎ちゃんぽん」が好きだから スマホで映すよりよりも先に食べちゃって 恥ずかしながらこの始末です。 先月もランチに「金目鯛の煮つけ」食べたけど 一番下の写真にある様に"半ぺら"食べた頃に 思い出してスマホを出す始末です。
昨日はNHK名古屋文化センターの講座が終わって中区錦三丁目の木曽路で忘年会でした。教室でも忘年会でも、放送センター10年以上やったロビーコンサートの会場費用がかかることからこれから発表の場をどこに打って出ようか、さらにSNSの時代となって教室の進め方とか若い人たちをどうやって引き込んでいくか等前を向いた話合いもできた。
今日はNHK名古屋文化センターで相撲甚句の講座が 終わってから木曽路で忘年会です。 2004年1月開講だから明けたら23年目がはじまります。 7~8年前に900講座ある中で 5番目に古いって聞いたけど、どうなっているかなぁ どっちにしても長い年月やれたのは嬉しいです。 元気な体に生んでくれた両親と好きな事を長期間 やらせてもらっているご先祖さんに感謝です。下の人形の名は"連ればり」当地方では「三河の連れしょん」恍惚な表情がなんとも可愛いですね。後ろを向いたらこうなります四国の郷土玩具 をご覧ください。http://kyoudogangu.xii.jp/sikokutosa.htm
「あぁ~疲れたなぁ~」こんな時に一番効果があるのが大好きな郷土玩具を見て楽しむこと50数年前から集めていたんだけど最近は近くにお店がなくなったそれと毎年1~2回行っていた浅草に行かなくなったので増えていないケースに入りきれないので、別に本棚に同居させているけど本人たちは「仲間と一緒に住みたい」と陳情があったけど残念ながら今だ約束が果たせていない 時代は幕末、竹林寺の僧「純信」が規律を破り、はりまや橋の小間物屋で、思いをよせていた「お馬」にかんざしを買ったことがうわさとなり、他国へ駆け落ちしましたが、すぐ土佐へ連れ戻されました。その後二人は引き裂かれ、悲しい運命をたどります。現在土佐で唄われている「よさこい節」は、昔から歌い継がれてきた土佐の民謡よさこい節にこの恋物語を組み込んだものです。ほっかむりした坊さんは張子になっており首がキョロキョロ動く様はなんともいいね。 よさこい節1.土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい2.御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこい よさこい3.言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎより よさこい よさこい
豊田教室に続いて二つ目の忘年会。お酒は飲まないので忘年会、新年会はやってなかったけど、ここ数年は"真面目"にやっています。早々に食べてカラオケタイムはみんな好きだから大盛り上がりやっぱりワイワイやるのもいいね~。17日(水)は名古屋文化センターの忘年会です。
ロシアのプーチン、アメリカのトランプが代表するようにその国の歩いてる道、それが将来どの様な方向に向かうのか予測も出来ない状態にある。田中角栄エピソード268俺は出稼ぎに来ているだけだ難しいことは分からないが角さんは他の候補者の誰よりも地元の誰よりも歩き回って市町村長さえ気付かないほど細かく道路や橋の現状をし自らがそれを指摘し問いかけた中央に出て代議士にさえなれば誰もが地元から心が離れていくが角さんは違った陳情に訪れた人々に対しても秘書任せにはせず自ずから書類に目を通し的確に指示をしたその姿を見て多くの地元民たちは驚きと惚れ直したそうだ。これこそが政治の原点ではないでしょうか
今の政治家をみていると"角さんを見習えっ"て大きな声で言いたい自分じゃ政治家になれないから誰かにやってもらうしかない一番自信がないのが情にもろいこと政治の世界では何だかんだで足を引っ張られ、マスコミに騒がれ叩かれてしまう。行動しないと物事は変わらないが自分の思いをなかなか届けられない大切なことだと思うけどね。【田中角栄】モテたければまず腹をくくれ、覚悟を決めろから
相撲甚句って何! 長い間"こだわって、こだわって、こだわって" 調べてきました由来については、越後の石地の浦の甚九という男の創始したもの、地の句(郷土唄)が「地ン句」と変化したもの、「神供」(神前に奉納した歌舞)の転じたものといった諸説があるもののいずれも不詳上方で流行した踊口説「兵庫口説」に、「ゑびや甚九」という叙事歌謡があり、それが「甚句節」(盆踊唄)として各地に広まったとする説私は長い間民謡をやってきた関係で、江戸時代から伝わるハイヤ節系統か同じく五街道が整備されてきて、庶民がこぞってお伊勢参りをする様になり全国に広がったと考えていたハイヤ節は 当時熊本を中心に唄われていた「二上がり甚句」を奄美から伝わった「六調」という南国特有の熱狂的なリズムで味付けをし、独特の節回しを持つ「牛深ハイヤ節」が誕生したハイヤという名前の由来は、元々"南風"のことを九州では"ハエの風"と呼んでいることが起因で、ハエがハエヤになり、やがてハイヤへと訛っていったと言われている伊勢音頭は 江戸時代の伊勢に起った「伊勢音頭」と呼ばれそれは伊勢参りにおける名所のひとつ、伊勢古市の遊郭で遊女に唄わせた音曲と、もうひとつは現在「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という歌詞で知られているこれといって決定的なものはありません、結局は流行り歌をお相撲さんが唄ったのが相撲甚句なんです。文字数とか形式では分類できません、いい加減というか、アバウトであり、何でもありなんです。逆に言うと、こうして生き抜いてきたとも言えます。"ギブアップ" 詳しい方はどうぞ教えて下さい。甚句(七・七・七・五)• 形式: 七・七・七・五の四句構成。• 特徴: 民謡の一種で、地方ごとに旋律が異なる。越後甚句・ 博多甚句・相撲甚句など地域性が強い。• 内容: 庶民の生活、祭り、労働歌、酒盛り歌などが多い。• 性格: 土着的で素朴、土地の文化を反映。