こうやって文章を書くのは多分4年ぶりくらい。


それくらい、自分の中で気づいた部分があったので久しぶりに文章として残してみようと思う。


「西野七瀬が乃木坂46から卒業する」


そんな発表があったのは去年の秋。


2018年はグループの顔であった、生駒里奈をはじめとして、乃木坂46からとにかく卒業が多かった年。

西野の発表よりも後に若月佑美の卒業発表もあった。


ここ数年は夏のツアーの神宮公演程度しか参加をしていない私だが、いよいよ乃木坂も世代交代なんだなと、少し一歩引いてグループの動きをみていた。


なんだかんだというのはおこがましいが、積極的にならずとも、メディアの情報はチェックしていたり、冠番組は忘れずにチェックしていた分、乃木坂46を目にすることが割と当たり前の環境にはずっといた。


昨夏の神宮公演は生駒が抜けてからは初のツアーで、夏の雰囲気も相まって喪失感があるというよりも楽しさや恒例行事ということもあって、主要メンバーが抜けたことの衝撃を感じることはできなかった。


というよりも、実感したくなかったのかもしれない。


それはもう少し話が遡るのだが、、、


2017年11月、乃木坂46初の東京ドーム公演。


この時に卒業したのが、伊藤万理華と中元日芽香の2人。


足繁く乃木坂46のライブに参加したりしていた時は、アンダーライブに特に思い入れのあった私。


この2人は、個人的にはとても思い入れの深いメンバーであり、乃木坂46のアンダーライブが今の地位を確立するまでの道筋を作った2人。


とにかく、この2人の卒業はとても良い形で終われたという反面、いよいよ自分の中で乃木坂46を見届けることの終焉を迎えたかと思える大きなターニングポイントだった。


でも、自分が以前通っていた頃と大きな違いはあった。


乃木坂46が自分の想像以上に世間に浸透していたということ。

何も意識していなくても自然と情報が溢れるくらいに乃木坂46は世の中のトレンドになっていた。


井の中の蛙大海を知らずとはよくいったもので、握手券やライブのチケットが取りづらくなっても、実人気というのはよくわからなかった。


だがしかし、昨今、会社で話をしても、乃木坂46に興味のない友人と話をしても乃木坂46の話題になることが多い。


それくらい、乃木坂46が以前以上に身近で、当たり前になっていたのが一昨年の東京ドーム公演より後の話。


それでもって、オタクとは無責任なもので、毎年行っている神宮くらいは行きたいとなるもので、結局いつものように参加して、いつものように楽しかったと終わっていたのが夏の終わり。


いうなれば、当たり前の環境の継続である。



ちなみに、2018年夏の神宮は、隣の秩父宮ラグビー場も使用する大規模なお祭りとなった。



しかし、今回。


7th YEAR BIRTHDAY LIVE、そして西野の卒業を迎え、

いつものようになんとなく、でも、よくわからない違和感がありつつも大阪へ。



土日だけしか参加できないということもあり、チケット激戦の中BIRTHDAY LIVEのDAY3と西野卒業公演の両方に運良く参加できた。


噂だと50倍超えだって、すご、、、


今年のBIRTHDAY LIVEは全曲披露を昔のように順番に披露するというもので、DAY1、DAY2が往年のファンには懐かしい内容のものであったと聞いていたため、少し不安がありつつもDAY3へ。


案の定、自分が現場を離れてからの曲が大半を占めていたため、盛り上がるというよりは俯瞰していたという感じである。


3期生の楽曲が増え、中盤では4期生も登場し、世代交代を更に実感させられたというのが本音である。

逆にだが、とても新鮮に映ったのも事実で、少し前に見た3期生のパフォーマンスよりも格段に見栄えが良くなっていたのがよくわかった。

しかしながら、嬉しかったことが一つあり、アンダーメンバーが非常にモニターに抜かれるということ。

待っていれば時が来るというということを4年前くらいの自分に教えてあげたいものだ。



こういうポイントがやはりアイドルを応援するという観点では非常に重要なものかもしれない。

無期限ではない儚さがアイドルやバンドの良さではないだろうか。


さて、メインのDAY4、西野七瀬の卒業ライブ。


過去を振り返りながら西野七瀬の軌跡を追っていくという構成で進むライブ展開に、今まで当たり前のように聴いたり、観たりしてきた風景がここで終わるというのを途中からものすごく痛感してしまった。


黎明期を支えたのが生駒や橋本、万理華や中元だとするならば、

黄金期といずれいわれるであろう2014年以降の乃木坂の顔の1人は間違いなく西野七瀬と私は思っている。


先ほど述べた、当たり前の乃木坂の景色には

西野がいつもいた。


それが、今、終わる。


卒業っていうのをライブ始まるまで実感なかったと本人も述べていたように、私も全くもって同じだった。


終わるにつれて、前3日間で披露されなかった往年の名曲も披露され、中には涙をこぼすメンバーもいたが、私も徐々にいろいろな思い出を振り返りつつとても感傷に浸っていた。


そんな中でも、

以前は決して自ら前に出るようなタイプではなかった西野七瀬が最もライブを楽しんでいる姿が、今はとても印象深く記憶されている。

もっと、涙が溢れて必死に卒業ライブをこなしていくものであると思っていた。


変わっていた。いつのまにか、ステレオタイプな西野七瀬が自分の中に造られていた。

自分だけは数年前のままでストップしていた。


そんなことを気づいたのが、この卒業ライブの最中。

なんと、自分は愚かであったか。


最後の曲は光合成希望という西野のソロ曲であったが、西野が笑顔でメンバーと皆で歌う景色は、とても晴れやかなものだったが、いよいよ終わるということを痛感して、凝視は出来なかった。情けない。


当たり前が終わった瞬間。

しかし、最大級の笑顔で終われた瞬間。

数えきれないほどの楽しい思い出と経験をくれた西野七瀬に対して感謝しかなかった。



これからも、たくさんのフィールドで羽ばたいてほしい。


結論としては、

普段は気づかないものでも、やはり失うと気づくものはたくさんある。

簡単なようで難しい。


今置かれている環境で最大限の効用を見つけ、全力でぶつかる。

これは趣味に限らずである。

そんなことを、卒業ライブで痛感したあたり、まだまだみみっちぃガキのまま生きているなと。


まあ、いいや。

結局何年も追っていたらメンバーや現場の環境が変わっても、ずっと好きなんだと。これが答え。


こんなことを文章に残しつつ今日の帰り道は遠回りしてみようと思う。