第八章 四日目・本土 その3 | 弐位のチラシの裏ブログ

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 今日の十角館の殺人はどうかな?


 「あれは、千織が生まれた年に植えたものなんだ」
 そう言った紅次郎の声は、かすかに震えていた。
 「あの藤の木を?ははあ、そうか」と独り言ちた。なんのことが良く呑み込めずにいる江南を見て、
 「源氏物語だよ、コナン君。そうなんだろう、紅さん」
 縁側に立って紅次郎に向かって、島田は言った。
 「父の妻である藤壺を深く恋い慕っていた光源氏は、長い年月の後、彼女と一夜だけの契りのを結んだ。ところが、そのたった一夜で藤壺は身籠ってしまい、以降二人は、夫を父を、裏切り欺き続けることになった。
 紅次郎は兄の妻、和枝を、その藤壺に見立てたのだろいう話だろうか。
 罪の子、千織の誕生。それゆえにより近く、同時により遠くなってしまった恋人を偲ぶ心が、彼にあの藤の木を植えさせた。藤壺は一生涯、自分と源氏の犯した罪を忘れず、みずからを消そうともしなかった。紅次郎の恋人もまた、そんな藤壺と同じように・・・と、そういう話なのか」
 島田は静かにソファから立ち上がり、紅次郎の背に歩み寄った。
 「青司氏は気づいていたんだね、そのことに」
 「いや、兄はたぶん、疑っていただけだと思う。半ば疑い、半ば必死になってそれを否定しようとしていたんだと、そう思う」
 庭のほうを向いたまま、紅次郎は答えた。
 「兄は優れた才能の持ち主だったが、人間的にはどこか欠落したところのある男だった。彼は義姉を強く愛していたが、それは何と言うか、狂おしいまでの独占欲に塗り固められた、ひたすら求めるだけのいびつの愛情だったんじゃないか。
 おそらく兄は、自分でもよく分かっていたに違いない。彼女にとって自分が、決して良き伴侶ではないことを自覚していた。だから彼は常に不安を感じ、義姉を疑い続けていた。千織についてはきっと、恐れも似た感情を抱いてのだと思う。しかし一方では、千織だけは自分の子である信じようとする、信じたい気持ちが半分、この半分が20年の間、かろうじて彼が妻との絆を信じ、心のバランスを保つ拠り所になっていた。
 なのに、その千織が死んでしまったのさ。二人を繋ぐ唯一の絆だと、恐れつつも信じようとしていた娘の突然の死によって、兄の疑心の真っただ中に放り出された。妻は自分を愛していない、しかもその心は外に-自分の弟のもとにあるのではないか、さんざん悩み、苦しみ、そして狂い、とうとう兄は、彼女をみずからの手で殺してしまったんだ」
 紅次郎は背を向けたまま微動だにせず、若葉を付け始めた藤棚を凝視し続けていた。
 「角島の事件は、あれは、兄の企てた無理心中だった」
 「無理心中?」
 「そうだよ。あの日、9月19日の午後、私は確かに、島田、お前の言う通り、兄から送られてきた小包を受け取った。中には血まみれの左手がビニール袋に密封されて入っていた。その手の、薬指に嵌っていた指輪に見覚えがあった。
 わたしは青屋敷に電話をかけた。待ちかねていたばかりに兄が出たよ。泣き声とも笑い声ともつかぬ声で、彼はこんなふうに言った。和枝は永遠に自分のものだ。北村夫妻も吉川も死んでもらうことにした。二人の旅立ちへのはなむけだ、とね。
 私が何を言っても耳を貸さず、自分たちはいよいよ当たらな段階を目指すだの、大きなる闇の祝福がどうだのこうだの、送ったプレゼントは大切に扱えだの、わけのわからないことをひとしきりまくしたててね、一方的に電話を切ってしまった。
 兄はだから、決して生きちゃあいない。物理的にいくらその可能性があったとしても、心理的に絶対にありえない。彼はね、義姉を殺したから死んだんじゃない。自分がこれ以上、今のままの状態で生きてはいられないから、彼女を一緒に連れて行ったんだ」
 「紅さん、もう一つだけ聞きたいんだが、いいかな」
 重い沈黙を島田が破った。
 「受け取った和枝さんの手首はどうした、今どこにあるんだい」
 紅次郎は何も答えようとしない。
 「ねえ、紅さ・・・」
 「分かってる。お前はただ、本当のことを知りたがっているだけだ。警察なんぞに知らせる気はないからって言うんだろう。わかってるよ、島田」
 そして紅次郎は、庭の藤棚を再び差し示した。
 「あそこだよ。あの木の下で、彼女は左手は眠っている」


 「お前の言った通りだと思うよ、守須」
 江南は何杯目かの水割りを飲み干した。
 「島田さんには失礼なけど、聞いちゃいけないことを聞いてしまったなってね、やっぱりそういう気がする。こんなの、気持ちのいいもんじゃないな」
 「中村青司は生きてはいない、と紅次郎氏は断言した。それは真実なんだろうと俺は思う」
 「吉川誠一の行方についてはどう考えるんだい」
 自問の意味も込めて、守須は問うた。
 「島田さんもその件が引っ掛かってるみたいだけどな、死体が見つからない以上、やはり海に落ちて潮に流されるかどうかしたんだろ」
 そう答えて江南は、壁に凭れて座った島田のほうは横目で窺った。浸りの会話を聞いてか聞かずか、島田はグラスを片手に、書棚から抜き出した本を読んでいる。
 「とにかく探偵の真似事はもうおしまいだ。来週の火曜に連中が帰ってきたら、怪文書の仕掛人だ誰なのかわかるんじゃないかな」