ローマに来ると、

色々なことを発見し、

また、再発見します。
 

『ローマにいるときはローマに従え』
 

日本では『郷に入っては郷に従え』と訳されていますが、

ここ、ローマの街と人々は、

西洋の他の国の人が訪れても、

戸惑い、面食らうような、

文化の違いがあるということなのでしょう。
  
 

日本とは、それはもう、

違う。真反対だと思うこともいくつか。

日本の常識を押し通そうとしても、

日本のようなサービスやおもてなしを求めようとしても、

それは無理なことです。
 

僕ら日本人にとって、

『してもらえることがあたりまえ』

の常識は一日目で吹き飛びます。
 

六車線の大通りを、

自分の判断で横断する横断歩道。信号なし。

自分で手を挙げて、車を停めながら渡らなければいけません。
 

街はすべて石畳。

スーツケースの壊れた車輪が至るところに転がっています。刺さったままのヒールの靴を見かけることも。(笑)
 

町中の建物が100年から2000年前の遺跡です。

それでも町中にスプレーで落書きしてあります。
 

カフェでショーケースのなかのスイーツを選んで、コーヒーを飲んで、
さて、払おうとしたらあっちのレジに行って
自分で何を食べたか伝えて払ってくれと言われます。自己申告制です。
 

話しかけてくる人がほとんど全員詐欺です。
 

そして、

街に文化があります。
 

文明や歴史、

人間とは何なのか?

人間とは何を作ってきたのか?

そういうことをたくさん考えさせられます。
 

僕の友人のイタリア人は、

憧れの大都市、東京の街に行き、

とても落胆して一日でそこを去りました。
 

『東京の街には文化が無かった。

あったのは光る看板ばかりだった。』
 

とても印象的な言葉です。
 
 

家内と二人でイタリアを旅して、

町を歩きながら語り合うことは、

日本を歩くときの話題とはまったく違います。
 

仕事やスケジュールに終われていないことはもちろんありますが、

何よりも、

広告以外のものがたくさんあり、

それが目に入ってくるから、という理由が大きい。
 

日本は看板ばかりです。
 

そして、

イタリアでは街路樹が巨大です。
 

枝が落ちてきたら危ない!

虫が落ちてきたら誰が責任をとる?

そのような理由で日本の街路樹は、

ここまで大きくはならないでしょう。
 

しかしローマは違います。

大きな木というものは、

そういうもの。
 

誰の責任でもないことを、

誰でも知っています。
 

日本のビルディングはとても無機質で、

ローマの町の、人間が自分の手で石を削って作った建物とはまったくイメージが違います。

ローマは、

人間が生きてきた証で溢れています。
 

人間はちっぽけな存在で、

自分は小さな存在にすぎない、

僕らはそう考えがちです。
 

しかし、今、僕がこの手でさわれる、

この街の造形は、
 

そのちっぽけな誰かが削り、研磨したモチーフであり、

それを数百年後の僕が、

今、さわっている。
 

たくさんの人間や、

たくさんの時間と比較すれば、

人間は誰であれ、

ちっぽけ。
 

しかし、その人間が、

人生の中で何をやれたのかと

いうことにフォーカスすれば、

何かひとつのことを

しっかりとやり尽くした人間は、

誰であれ、偉大なのです。
 

それを感じられるのが、

僕の愛する街、

ローマであり、

イタリアそのものであります。
 

 

 

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Hideichi Tanaka

 

 
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