いつもいつも、
母親をガミガミと怒鳴り散らしていた親父は、
少しずつ、静かになった。
思考力が消え去り、
でもいつも、
自分の気に入っている縁側に陣取り、
一日中、庭の梅を眺めていた。
この山を開いて、
40年。
気持ちはずっと、
この山の中に巡らせていた。
いや、この山、
そのものになりたかったのかもしれない。
『お父さん、寒いから向こうに行くよ。』
なんと、まるで子犬か何かのように
母親が父の頭をポンポンと軽く叩いた。
僕は驚いた。
ちょっと前なら、
『なにしよるんじゃ！この無礼者が！』
と、親父から怒鳴られていただろう。
母親は僕を見て、ニヤリと笑い、
『あたしの方がもう、お父さんより強いとばい。』
と言った。
親父は思考力が戻ってくると、
まずは母親のことを呼ぶ。
いつも、近くにいるかどうかを
気にしていた。
僕や弟ではなく、
いつでも母親のことを
たよりにしていた。
一日中、一年中、
怒鳴って、怒ってばかりいた母親のこと。
誰よりも一番たよりにしていた。
僕らの思うのと形は違えど、
きっと、父親なりに
『大切にしていた』のだと思う。
ついてこいとは言わぬのに
黙ってあとからついてきた
俺が二十歳でお前が十九
提げた手鍋のその中にゃ
明日の飯さえなかったなぁ、おまえ
苦労した自分達と重なるのだろう。
いつも口ずさんでいた、
村田英雄の夫婦春秋は、
会話がままならなくなってからも
目を閉じて、ぶつぶつと口ずさんでいることがあった。
できなくなり、
わからなくなり、
何もかも忘れて、
最後に残ったのものは
母親への想いだった。
僕もね、
そうありたいと思う。
今年も実家の山の桜が待ち遠しい。
桜が満開の頃が、親父の命日。
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