電話帳というのは130年の歴史があるのだと。
なんてすごいのじゃろうね。
だから、ちくわがモノゴコロついた時にはすでにあった。そりゃそうだ、130年って簡単に言うけど、遡れば1894年ということになるわけで、世紀を股越しているわけだもの。
明治27年というから、江戸時代が終わりを告げてまだ30年も経ってない。(それなのに、この年に大国である清と戦争してるわけで、この国はどーかしてるよね)
そんな時代に電話の保有者の元には電話帳なるものが配られたというわけだ。
それはたぶんすごく薄かったんじゃろうな。電話のある家なんて少なかったじゃろうし。
ちくわの時代、電話を引くというのは大変なことで、電電公社という半官半民みたいなトコに申請して、電電債というもの(権利)を買わなければ電話を付けてもらえなかった。しかも工事も立て込んでるので(しょせんお役所仕事じゃものな)申請が受理されてもじゃな、実際の取り付けはずっと先になっちゃうのでした。
正直いつになるかいなって感じだったと思う。
なので、電話はエラかったんじゃ。
独立した棚が設けてあったり、レース付きの電話カバーとかしてるおうちも多かったし、保留用のオルゴールなんかもあったね。
きょうびの若者は「受話器」がなにかも知らぬらしいので、それ用のオルゴールなんか見せたら使用用途が知れぬじゃろう。
オルゴールなのは判るけど、なんでここ変な風に凹んでるんだ? って感じじゃろうな。
ともだちんちに電話するのもなかなか緊張した。
だいたいの家には、電話は一家に一台しか無いので、かけてみても誰が出るやらわからぬのじゃからな。
ちくわは若いころいわゆる「彼女」などいなかったのであれだけど、もしもそういう関係の子でも居ようものなら、そこへ電話するのは、きっと友人ちにかけることの比ではなかろうよ、緊張感がな。くっくっく。
ご両親がお前のことを良く思ってなかったりしたら、どきどきもんじゃな。あっはっは。←悪意あり過ぎ。
とはいうもののじゃ、相手の顔が見えないので、どえらい失敗をしてしまうこともある。
友達に電話した。
「はい、もしもし、山田ですが」
「やっほー、ぼくだよーん」
「ああ、たかゆきですね、少々おまちください」
おーい、たかゆき、電話だぞー。 って呼びかける声が聴こえる。
山田君(仮名)のお父さんは、同級生の山田たかゆき(仮名)と、びっくりするほど声が似ていたのじゃった。
「どうしようたかゆき、ちくわ、お父さん相手にふざけちゃったぞ」
「あー、よくあるある」
みたいなさ(笑)
今は携帯電話(あるいはスマホ)が憶えてくれているので、誰それは何番だって憶えなくて済むようになった。
だからじゃね、これが無くなるとどこにも連絡できなくなっちゃうでそ。
見も知らない場所で持ち物失ってじゃな、助けて欲しくてもどこにも連絡できない。
ちょっとコワイ。
前は頻繁に連絡する人の電話番号は暗記してたものじゃ。
えっとね、なんで今回こー言う話をしてるかというとじゃな、電話帳の廃止が決まったよーってことからじゃな。
個人の電話番号が記載されていたハローページはすでに廃止されてたんじゃけど、今回は企業やお店の番号が載ってるタウンページももう発行されないことになったのじゃ。
なので電話帳の歴史は130年で終わりを告げる。
ってことなんじゃな。 たしかに見なくはなったよ、タウンページ。でもね、近所にある鍵屋さんとかさ、住所で見つけられて便利は便利だったんじゃけどね。
ついでにだけど今年の12月で保険証も無くなっちゃうらしいね。
あれはいつからあるんじゃろう。
とにかく顔写真も無いことから、他人に貸し出しもできるわけで、いろいろと問題は孕んでいたんじゃな。
しかも身分証明としては通用していたわけでじゃな。(最近では他のものと一緒に提出しないと本人確認としては使用できない)
まあまあ、仕方なかろうというもんじゃね。
マイナンバーカードの不備を伝える声も多いし、そんなのすぐ作っちゃうよーって偽造グループもあるし(笑)、そう簡単には行かないかもじゃけど、とにかく舵を切った以上はちゃんとしたものにして欲しい。
時代を支えてきたもの共が消え去るのは寂しいものじゃ。
それにしてもここんとこの変化の仕方はどうじゃ、昔年寄りが「ついていけねえなあ」などと言ってたけどさ、ネット環境が構築されてからこっち、まじで激しくないすか?
ちくわもついていけなくなって久しいんじゃけどな。
電話帳をふたつに千切る怪力男とかさ、あれが無くなったら困るよね。(そこ?)