瞑想を続けて2ヵ月。


未だ思考に乗っ取られる瞑想タイム。


そこで、今に集中するために
本で読んだ"見る"をやってみた。




(湯船に浸かり瞑想中)


湯気が見えます。

お湯が温かいです。

〈思考〉

息を吸い込んでいます。

息を吐いています。

腿の外側がぴりぴりします。

〈思考〉

お湯がゆらゆらしています。

〈思考〉

〈思考〉

〈思考〉

(はっ!!)

我に返っています。

汗が額に滲みます。

〈思考〉

〈思考〉

〈思考〉

〈思考〉

ちーん





流しても流してもやってくる思考。


徐々にやってくる速度を速める思考。
 

思考を呼んでくる思考。



なんで思考は次々やってくるんだろう。


そう考えていたらインスピレーションが降りてきました。



"思考も見る"




そこで、思考が湧いた時に、
「今○○という思考が湧いています。」とやってみた。



すると




"思考は流さなければいけない"


"なかなか思考を流せない自分はダメだ"


と思考に囚われている自分が見えてきた。



思考を流さなければいけないと思って
思考を流す行為は



思考を流したという未来を手に入れる為に
思考を流そうとする行為で



"今"にちっとも居ないんじゃないかと思った。



"今"ではなく
少し先の未来を見ている。


↑↑
今にいる、ということは


出てきた思考をただ見る、
ということではないかなUMAくん