19世紀末、フランスのある上流階級の一家の女性を中心とした四世代に渡る年代記(クロニクル)。
最初何となくフランスワ・トリフォ―作品のようなタッチを感じた。
舞台はフランスで、言語もフランス語、現代フランス映画界を代表する女優三人を揃え、
たとえ当時の社会は男性であっても、生命は女性が守り、繋げていくという女性賛歌がうかがえる。
でも同時に何となく不アジア的な思議な感覚が付きまとい、
もちろん監督がベトナム人なので当然のことなのだが、奇妙なバランスに少々戸惑いを感じた。
視点が常に客観的で、傍観するかの様に世代を越えて家族に寄り添う。
でも映画的な起承転結や明確な物語、台詞も最小限で、
それも決して劇的なものではなくあくまでも日常の会話レベルでしかない。
そこに被さってくるのフランス語での女性のナレーション。
最初は後世代の誰かが自分の家族のルーツを振り返っているのかと思っていたが、
結局最後までそのことは説明されないまま終わる。
一体誰の声であり、誰の視点の物語なのか?
調べてみると実はナレーションを担当しているのは、監督の伴侶であり、
「夏至」「青いパパイヤの香り」「シクロ」など、常連女優であるトラン・ヌー・イエン・ケーだった。

イメージ 1

写真は「夏至」の頃。
いかにもアジア的な美人像だけど、不思議な色気のある女性で結構好みだった。
彼女の声で全てが腑に落ちた。
声こそ彼女が堪能しているけど、その背景にあるのは
紛れもない監督自身のアジア的な死生観や人生観なのだ。

「人生とは死者を見送ること」
「生命は永遠。生から死へと受け継がれる」

と劇中のナレーションで語られるのがこの映画の主題だ。
結婚式、洗礼式、一家での食事、子供たちのピアノやバレエの練習などディテールが丁寧に描写され、
人生賛歌とも言えるが、同時に無造作な生と死が溢れている。
それを所謂映画的な劇的なシーンとして描写しない。
当たり前のように死(例えば、戦死であったり、病死であったりする)が訪れる一方、
新たなる生命の誕生がそれに続く。
タイトル通りの永遠(エタニティー)の流れがある。
私的偏愛するオドレイ・トゥトゥとメラニー・ロランが揃え、
その名こそ記憶していなかったがベレニス・ベジョの美しさもまた随一である。
余談だが、メラニー・ロランを見ているといつも胸が締めつけられてキュンとなる。
ある日、気がついた。それは十代の頃に大好きだったナスターシャ・キンスキーを思い出すからなのだ。
初恋への思慕に近い感覚だったのだ。
女性陣の豪華さに対して男性は些か影が薄い。
男前を揃えてはいるが、その存在は所詮種馬であり、文字通り胎内で生命を紡ぐのは女性なのだ。
そう言えば監督の女性視点というのは初期作品でも一貫している。
「ノルウェーの森」での沈滞は本来得意分野でないストーリーテリングを
長尺原作の映画化に求められたというミスマッチングだったのかもしれない。
基本(いい意味での)雰囲気映画監督なのだ。
更には今作の撮影が何とも見事なのだ。
台湾出身だけど、もはやアジア、世界の名匠撮影監督と呼べるリー・ピンビンだ。
何と言っても代表作は「花様年華」だろう。
あの色彩、あの構図と完璧なまでに構築された随一の世界観がある。
他にも監督とは「夏至」以来のコンビで、ホウ・シャオシェン「黒衣の刺客」、
邦画でも是枝裕和「空気人形」など、そのプロフェショナルで美しい映像には驚かされる。
今作も印象派の絵のようなと称されているが、淡い色彩で緑の風景をロングショットで捉える。
カット割りは最小限、長回し主体で、カメラ移動はゆっくりと自然であり、
観客が自覚するようなこれ見よがしの技巧的な映像はない。
それでも映像が染み入って来るのだ。
そして音楽。
バッハにリストにドビュッシーなどをピアノメインで選曲される。
グレン・グ―ルドのバッハをバックにあの映像に浸っていると、現実感はぶっ飛び、夢幻的な感覚となる。
もう、堪らん作品だ。藻っと浸っていたかったぞ。

偏愛度合★★★★