そもそもが動物と子供、更にはその病や死を描く企画自体があざとい。
大好きな最初の飼主を死別して、転生を繰り返しならが、ようやく再会するというお話。
次々と生まれ変わり犬種や性別が変わっても、記憶だけは何となく残っていて、
その犬自身の声(視点)で物語を語るのだ。
この擬人化したナレーションには拒否感もあるかもしれない。
でも物語上、犬自身の声か、神の声(文字通り創造主か映画つくり手)か、
いづれかのナレーションなしには成立できないプロットだから仕方がない。
まあ擬人化と言っても言葉のみで、行動は犬のままなので許容範囲だろう。
しかし予告編で全てネタバレになっとるぞ!
基本的に物語は予告編のまんまで、話を少々膨らませてこそはいるけど、
一番泣かせるポイントであるオチまで堂々と披露しているのだ。おいおい、そこまでして売り込むか。
文句を言いながらも、やっぱり転生する犬がコーギーとなれば劇場へ駆けつけるしかない。
やっぱりコーギーが可愛すぎる。
やたらと食いしん坊で飼主の食事も何でも食べたり(ピザにアイスクリームは駄目だろ)、
「あれ、尻尾は何処へいったの?」とクルクルと回ったり、
「そんなに急がないでよ、僕は足が短いんだ」と飼い主の後をちょこまかと追う姿には目じりが下がる。
最初のゴールデンレトリバーの賢さ、運動能力の高さ、何よりも飼主イーサンへの無償の愛情といい、
やがて訪れるその悲しい別れといい、犬を飼ったことがある人にとっては、
我が家の犬を思い出してはあるあるだらけで、時折うるっと来てしまう。
おもちゃを運んでくる様、ベッドで一緒に眠りたがる姿、
身体に鼻先を乗せ上目づかいで飼主を眺める様子など既視感一杯でたまらない。
確かに全体的な物語は生まれ変わりのシステム、飼主との再会などご都合主義でいっぱい。
細かいツッコミを入れるとキリがないけど、これはアラを見つける映画ではなくて、
犬と人のどこにでもありがちな日々の生活を描いた作品なのだ。
監督は「HACHI」に続き犬映画専科と化しているラッセ・ハルストレムなんだから困ったものだ。
北欧出身のヒューマンドラマの名匠がいつの間にか犬屋さんとなっているぞ。
でも監督は作品全体を湿っぽく、如何にも泣かせるがための演出で
作品全体をベタベタに厚化粧しないのが好感が持てる。
犬と人との細部の描写にこそが全てであるかのように、老いや死を美化してとりわけ強調しない。
犬に限らず全ての生きとし生けるものにとって死は平等に必然であり、決して逆らえない。
作劇上のの死と生まれ変わりと言う流れを受けとめてしまえば、違和感はない。
ちなみに我家のコーギーは8歳。
もう犬の年齢ではシニア扱いであり、多分飼主夫婦二人の年齢を越えたしまった。
そんなに遠い未来ではない日に、訪れるであろう別れを想像するだけで途轍もない悲しくなる。
ちなみに反則技とも言うべき犬との別れの映画は「いぬのえいが」の中の一篇。
映画泥棒からチェックされるかも知れないけど。監督は犬童一心。犬の心の人なのか?
偏愛度合★★★