【モヤモヤしない黒沢清】
元々言葉(説明的な台詞やナレーションなど)ではなく概念(象徴化された映像)で
映画をつくる黒沢清監督が、言葉でなく概念を盗む宇宙人の映画を撮るというツイスト具合が面白い。
それ故か今までになくテーマも展開も明確でわかりやすい作品となっている。
(監督がファンらしい)前川知大の同名の舞台、小説という原作があるからというわけでもなく、
原作があっても原型をとどめぬくらいにモヤモヤと改変を施す監督なので、今回は特異な例だろう。
宇宙人が概念を「それ、もらうよ」と盗む際に、それが具体的に何であるかを言葉で
説明補足しなくてはなく、ある程度台詞が伴い、概念を明確化している。
黒沢映画特有のいったい何が起こっているのかさえ不明な観客を突き放したモヤモヤ感は希薄となる。
当然奪われ、失われたもの、それにより生じた結果が描かれるので、筋立てがある。
例えば家族という概念を失うと、仕事という概念を失うと、所有という概念を失う……など
生じた結果が映画的な見せ場となる。
それは人を無意識に縛っていた概念の欠損が、不自由にも、時として自由にもなりうる。
物語の基軸となるのは概念を失った者の結果だ。
このわかりやすさこそ、黒沢清監督の新境地ともいえる。
噂では一部黒沢作品固定層(ハルキストならぬ、キヨシストというらしい)には評判が良くないらしい。
はっきりしないもモヤモヤした展開に何かと勝手に意味付け、屁理屈を並べてたレトリックまみれで
自分だけが理解できる選ばれし者のような方々には困った作品かも知れない。
でも多分今回はわかりやすく撮るとか、難解に撮るとかの方針は全く監督自身は意識していないはず。
取り巻き連中だけが所在がないのか。

【やんなっちゃうな、もうっ、愛よ】
わかりやすいまでに明確に隠された(いや全く隠していない)テーマがある。それは愛だ。
言葉で書くと身も蓋もなく臭くなるけど、愛してるとか、恋するとか、単なる言葉尻を捕らえての愛では
なく、その背景にある普遍的な概念こそがこの映画のテーマだ。
劇場へ同行した家族は終映後、開口一番「単なるラブストーリーやん」と語った。
この何気ない言葉こそ、物語の核心をついている。
甘い口説き言葉やベッドシーンこそ描かれなくとも、直球ど真ん中で愛をテーマとして描いているのだ。
冷めきったはずの夫婦関係のはずが、宇宙人に憑依されて以来、夫が人格変貌を遂げる。
宇宙人が人間を乗っ取っているはずが、
無意識に記憶の奥底に潜む人間性が表出していくる過程が何とも泣かせる。
忘れていても、忘れていないという人間の記憶の不可解さを痛感。
例えば劇中での青いシャツの思い出、土手途での散歩などなど。
忘れたはずの記憶も、実は奥底では息づいていて、その人物を今も構成している要素となる。
後半に至り、蓄積された愛の断片ゆえに操っているのか、操られているのかが当人すらわからなくなる。
このアイデンティティが変化していく旅の風景は「岸辺の旅」に似ている。
諦めたはずのものが目の前に再び現れて、「何故?」とぷんぷん怒りながらも、
その実内面で戸惑い、段々と切なくなってくる長澤まさみのぷんぷん演技がお見事。
封印されていた愛情が湧き出てくる様が何とも切な過ぎる。

【やんなっちゃうな、もうっ、キャスティングよ】
キャスティングが見事。
主役二人のはまり役が意外というか見事なのだ。
元々素のイメージ自体でも何を考えているかさっぱりわからない、
到底普通人には思えない松田龍平のエイリアン感をそのまんま巧みに流用。
その朴訥とした台詞回しも無表情感もぴったり。
最後にある概念を妻から奪った時のリアクションには大笑い。
父である松田優作の「なんじゃこれは~!」に匹敵する「スゲ~!」という演技。
これまで理解できなかったその概念を奪い、全てのパズルが完成したような達成感を感じる姿は
物語の白眉となり、おお、そう来たか!と拍手喝さいだ。
前述のように観る前は借りてきた猫であるはずの長澤まさみのはまり具合と新境地には驚いた。
先程から繰り返している「やんなっちゃうな、もうっ!」という台詞がいまだに小津童貞であり、
黄金期の邦画に疎い者としては監督指示通りの杉村春子風なのかは判断できないが、
劇中で最も印象的な台詞ではある。
確信犯的に笑顔や肌の露出などを封印されたまさみさんは窮屈そうで悲しげだけど、目が離せない。
訳の分からない夫の変化にいつもぷんぷんと怒っている姿は実にチャーミング。
現場では常に怒った演技ばかりで辛かったそうだけど、傍から見ると十分に存在感をアピールしている。
ハイファションの似合う美脚とバストを封印され、量販店で並んでいるかのような垢ぬけない服装も
違和感がなく、逆に倒錯的だけど妄想力で描かれていないものを勝手に探ろうと変態的にフル回転だ。
一番の露出がシマムラで売ってそうなパジャマ姿という徹底ぶり。
長谷川博己の暴走は想定内だけど、TOO MUCHに過剰過ぎる演技こそ、
この異常な状況を警告する者としてはぴったり。
規格外の行動を繰り返す宇宙人カップルやその他にも馴染みの演技派を要所要所に配して手堅い。

【笑えるジャンル映画の寄せ集め】
基本的な展開は既視感のある異星人侵略ものだ。
ジャンル映画に誰も見たことがない新機軸を求めているわけではなく、
定石の巧みな引用や組み合わせであったりする。
宇宙人が人の肉体を乗っ取る設定自体は何度も映画化された「ボディスナッチャー」という古典があり、
ブラックなコメディタッチといえば「ヒドウン」という作品もある。
既存作品をパーツを巧みに組み合わせる。
アメリカ映画の圧倒的物量には到底及ばないけど、
銃撃戦やドローンとの爆撃戦などそれなりの見せ場もある。
黒澤監督の初のSFだけど、ジャンル映画としてのホラーとSF(特に侵略もの)は類似している。
どちらも平凡な日常にある日突然ある異物が侵入してきて、既成概念を打ち砕き、混乱を生じさせ、
最後には何らかの変化を周囲にもたらすというのが基本プロットだ。
その異物が幽霊であっても、宇宙人であっても然程大差はない。
描きたいの侵入者ではなく、それによって主人公にもたらせた成長や絶望なのだ。
長澤まさみと松田龍平の演じる加瀬夫妻の愛の物語が根幹となる。
逆に並行する二人の若い男女侵略者の暴力的な逃避行と
同行する長谷川博己の見て見ぬふりのは暴走は娯楽作としての展開の刺激部分となる。
全体的に絶望的な状況にも関わらず、能天気に明るい雰囲気が覆い、
侵略を間近に控えながらも、中盤まで淡々と日常が続き、
後半に至っては(笑えないけど)悪ふざけ全開という吹っ切れたようなヌケの良さは珍しい作風。
バックに流れるマーチ風というか、チンドン屋みたいな劇音楽と起こっている事実のアンバランスが面白い。
決してガハガハとは笑えないけど、最初からコメディとして狙っているはずだ。
(ネタバレになるが)直球ではなく、ツイストはされてはいるがハッピーエンドといえる結末も珍しい
WOWOWで放映中のスピンオフドラマ「予兆」の方がJホラーの脚本家高橋洋との共作いうだけあって、
いつものダークな黒沢節が全開しており、ホラー色が強い。
台詞が殆どない、照明がかわりながらの不気味なパンでの長回し移動など、見所も多い。
陰陽ではないが、ちょうど二作で補完する企画なのかもしれない。

やっぱり「やんなっちゃうな、もうっ!」に尽きる。
そういえば、早速妻が隣での台詞真似をしていたな。

偏愛度合★★★★