つくづくアメリカ人は蜘蛛男が好きならしい。
まあ日本なら繰り返し再生産される仮面ライダーとか、ウルトラマンとかのコンテンツと同じか?
スパイダーマンの映画的なオリジナリティを提示したのが、サム・ライミの初作2001年。
オッサンの時間緒感覚で言えばついこの前であり、続編2作が制作され、シリーズはいったん終了。
しかし間一髪淹れずに「アメージング・スパイダーマン」シリーズが2作公開。
「(500)日のサマー」の監督マーク・ウエブという期待もあったけど、
結局不遇時代のエマ・ストーンしか残さなかった。それくらい記憶が希薄なリブート。
そして2年後、またしてものリブート。
私的に嫌悪する鼠屋傘下のマーベルの貪欲なまでの金の臭いしかしない。
期待値ゼロで劇場へ臨み、満足値ゼロで帰還という全くの予定調和だった。
そもそもアメコミの複数のヒーローの物語が繋がり、
一体化していくというユニバースという世界観が面倒くさい。
莫大な製作予算の回収のため、固定客確保と次作へと中毒化させる手法もわかるが、
ここまでくると潔いけど、単に銭儲けしか感じられない。
「シビル・ウォー」で初登場したスパイダーマンの単独作で、
今後の展開を控えているアベンジャーシリーズのスピンオフ的存在か?

サム・ライミの提示したスパイダーマン像をなぞっただけの「アメージング」シリーズと明らかに違い
新機軸を打ち出している。監督はその筋には評判の「コップ・カー」ジョンワッツ。
腕のあるインディーズの監督を引き抜き、
いきなり大予算の大作を任せるというのも昨今の流行りだけど、多少が期待が残る。
しかし結論から言えば、トム・ホランドがどうしても生理的に駄目駄目だ。
超能力を身に着けスパイダーマンへとなった過程をバッサリカットして、いきなりうざい高校生として描く。
キャラクター設定年齢を14歳に下げたことに伴い、常にベラベラとしゃべりまくり、
自意識過剰で、目立ちたがり、行動が行き当たりばったりで、
全て結果から(周囲の大人の力を借りての)尻ぬぐい合戦が最後まで続く。
同世代から見れば共感があったり、息子を持つ親世代ならば母父性愛で
見守ってやりたくなるのかも知ないが、残念ながら、
個人的には鬱陶しいクソ餓鬼という生理的拒否しかないのだ。
逆に彼の暴走を支える周囲のキャラクターは心地よい。
何よりもマイケル・キートン。空を舞う「バットマン」を演じ、それを自虐的に揶揄した「バードマン」に
再び「バードマン」という悪役を演じさせるこのメタな多層性。
また「ファウンダー」では資本主義(ダークサイド)ヒーローの権化ともいうべき役柄を演じていながらも、
今回は大富豪トニー・スタークという搾取する者から、
搾取させる者という役に配されるという皮肉か、確信犯的に仕掛けた配役か?
ヒーローたち大都市で攻防を繰り広げ、破壊された瓦礫の処理を行う真面目な業者だったが、
トニー・スターク系列の子会社に仕事を奪われ、闇ルートでの武器販売へと走る。
自分で壊して、その後始末も自分で儲けるというスタークもまた元武器商人。
数年に渡り、FBIにもアベンジャーズにも目につかないように、
ただ家族を養うために小商いを続けるバルチャーのリアリティはこの物語の肝。
そしてそれを演じるマイケル・キートンの冴えない風貌と地に足のついた演技力には驚かさせる。
また「アイアンマン」シリーズの育ての親とも言うべきジョン・ファブローが
監督業から解放された伸び伸びとした客演が如何にも楽しだ。

摩天楼を飛躍する颯爽たるスパイダーマン像を封印して、
雑多で生活感あふれるクイーンズを舞台にした劇中でも引用される「フェリスはある朝突然に」
のようなジョン・フューズ的な学園物が展開される。
80年代を過ごした者としては懐かしい反面、どこかこっぱ恥ずかしく、落ち着かない。
マシュー・ブロデリックが喋り続けても、
嫌味はなく、感情移入できたはずだけど、今回のトム・ホランドは駄目だ。
マシンガントークから溢れ出る自意識とその結果の無責任さな行動が正直つらかった。
タイトルにある「ホームカミング」へエスコートする憧れのヒロインが金髪白人ではなく、
エスニック系の長身美人というのは面白い。スパイダーマンの正体を知る太っちょ相棒も同様。
トム・ホランド抜きにすれば、新機軸を打ち出した現在のリアルな「スパイダーマン」像だろう。

偏愛度合★★