私が切迫早産で動けない間に
93歳になる母方の祖母が他界しました。
88歳の米寿のお祝いのときに
娘と夫を連れて帰って以来
会えずのお別れ。
大バーバとの対面に泣き顔。
名古屋出張があったとき
近いから会いにいきたいなぁと思っては
いたものの時間や予定の都合をうまく組めず
いけなかったり
会いにいきたいねーと家族でも話しながら
なかなかタイミングつかめず5年も
会えないままになってしまっていた。
母が東京に駆けつけてきてくれてる
ときから祖母の状況は詳細に把握していて
ますます、あー、逢いにいきたいなぁと
思ってはいたものの。
切迫になってしまってるがゆえそんな簡単にはいかず。
施設に入っていたんだけど
施設を引っ越すことになったタイミングで
いろいろ検査して見つかった癌
歳のこともあるし、特に治療もせず
余命も月単位とは言われていた。
骨折もしたりしていたので
里帰りしてからとりあえず2泊母だけ
祖母のところへ向かったんだけど
帰る日容態が急変して
そのまま5/4の21:51に息を引き取った。
え!そんなに?!という感じの
スピードで逝ってしまった。というのが
私の正直な感想。
いずれにせよ、私はお通夜も告別式も
参加は難しい…。
一人でなんとかしようと思ったけど
母方の家族側の反対もあり、父にも残ってもらい
妊娠初期の妹も今回は参列せずうちの家族は
母以外不参列ということに。
祖母との思い出といえばコレ!
みたいなものはないけど
お茶の先生だったから
食事の作法や、
浴衣の着付けを教えてもらったり、
泊まりにいくと出てくる朝ごはんのお味噌汁が美味しかった記憶が強い。
いつも笑ってるそんなおばあちゃんの
笑顔しか思い出せないから
最後は痩せて人相が違ったという母の
話を聞いてもあんまりピンとこないのが本音。
母、叔父、叔母の三人兄姉妹に
囲まれながら昔こうだった、
あーだったという話を息の荒くなる祖母の周りで
話しながら最後息を引き取ったみたいで
あー、なんかこういう終わり方いいなと
不謹慎ながら思ったりもした。
歳も歳だから弔問者は多くはなかったみたいだけど、こんな時だからこそきてくれた人や
懐かしい人も来てくれたみたいで
それもまた、一つの縁。
母は、ヘトヘトになって帰ってきて
役に立てない自分に憤りを感じ。
改めて会えるときに会いにいっておけば
よかった。という後悔をしてしまったから
会えるときに会いにいくという選択を
これからはしっかりしていきたいと思う。
人生は一度きり。時間も限られている。
その中で優先度を決めざるを得ないものの
会いたいなと思ったとき、会いに行けるなら
会いにいこう。それがどんな相手でも
会ったその瞬間瞬間を大切にしようと
誓ったのでした。
天国でおじいちゃんと会えたかな。
見守っててね。


