前記事の終わりに
「色々インプット詰め込みすぎて飽和状態のままになったり、やり始めるもすぐ放り出したりな傾向が多くきましたが、
自分の心を表現し(解放し)、知り、整理し、気づく。やっぱりこのスタイルは今なお僕に合ってるかも知れません。」
と書きましたが。
Yoshi@左脳系スピリチュアリストさんがいつもおっしゃってる、インプットよりアウトプットを、という言葉、わかる気がしました。やってみて改めて実感、というか。
パナリのかんちゃんも伝えてくれている感じがします。
こないだ、ヤングリヴィングのセミナーで、よいものを入れるよりデトックスするのが先に重要、という話を聞きました。
身体と心も相似象と捉えてみると、心も先にデトックス(出す・アウトプット)するのがいいかな、ということですね。
自分で表現した方が意識的になりやすく気づきやすいし、そうでなくても溜まったエネルギーの解放になりますね。
OSHOの本でも、欲を抑圧するよりは欲に耽溺する方がはるかにいい、抑圧したことはいつまで経っても抑圧されたままだが耽溺はいつか飽きがくるからだ、といった風なことが書いてありました。
もちろん、考え方はそれぞれで、浄化はキリがない、とか、もう浄化の時代は終わり、今は創造の時代という捉え方もあるので、
どちらが正しいというのではなくてその時自分にしっくりくればそれでいい、のでしょう。
僕は、少なくともあるところまでは表現によるデトックス・浄化・解放は有効なような気がします。(表現の仕方が適切かどうかはあるかと思いますが)
前に書いたかも知れませんが、目覚め系の本でも、感情の解放は目覚め後であってもクリアされていないのであればクリアしていくプロセスになる、と書いてました。
(『過去にも未来にもとらわれない生き方』『〈わたし〉真実と主観性』の二冊の中にそういった内容を見受けました)
きっと他にも沢山の方々が、同じようなメッセージを発信されているんじゃないかと思いますが。
ミロスでもヤングリヴィングのセミナーでも共通したような話しを聞きました。
まあ、ともあれ、情報を知ることもいいんですが、それが自分にどう働いているかの方が肝なんだろうな、とも思います(笑)
相変わらず引用ばかりでしたが(笑)
ともあれ、2013年って、やっぱりなんかいいかも?と大したわけもわからず思ったのでした。
「色々インプット詰め込みすぎて飽和状態のままになったり、やり始めるもすぐ放り出したりな傾向が多くきましたが、
自分の心を表現し(解放し)、知り、整理し、気づく。やっぱりこのスタイルは今なお僕に合ってるかも知れません。」
と書きましたが。
Yoshi@左脳系スピリチュアリストさんがいつもおっしゃってる、インプットよりアウトプットを、という言葉、わかる気がしました。やってみて改めて実感、というか。
パナリのかんちゃんも伝えてくれている感じがします。
こないだ、ヤングリヴィングのセミナーで、よいものを入れるよりデトックスするのが先に重要、という話を聞きました。
身体と心も相似象と捉えてみると、心も先にデトックス(出す・アウトプット)するのがいいかな、ということですね。
自分で表現した方が意識的になりやすく気づきやすいし、そうでなくても溜まったエネルギーの解放になりますね。
OSHOの本でも、欲を抑圧するよりは欲に耽溺する方がはるかにいい、抑圧したことはいつまで経っても抑圧されたままだが耽溺はいつか飽きがくるからだ、といった風なことが書いてありました。
もちろん、考え方はそれぞれで、浄化はキリがない、とか、もう浄化の時代は終わり、今は創造の時代という捉え方もあるので、
どちらが正しいというのではなくてその時自分にしっくりくればそれでいい、のでしょう。
僕は、少なくともあるところまでは表現によるデトックス・浄化・解放は有効なような気がします。(表現の仕方が適切かどうかはあるかと思いますが)
前に書いたかも知れませんが、目覚め系の本でも、感情の解放は目覚め後であってもクリアされていないのであればクリアしていくプロセスになる、と書いてました。
(『過去にも未来にもとらわれない生き方』『〈わたし〉真実と主観性』の二冊の中にそういった内容を見受けました)
きっと他にも沢山の方々が、同じようなメッセージを発信されているんじゃないかと思いますが。
ミロスでもヤングリヴィングのセミナーでも共通したような話しを聞きました。
まあ、ともあれ、情報を知ることもいいんですが、それが自分にどう働いているかの方が肝なんだろうな、とも思います(笑)
相変わらず引用ばかりでしたが(笑)
ともあれ、2013年って、やっぱりなんかいいかも?と大したわけもわからず思ったのでした。