僕は今のところ、マインドの理解がしっくりくる性分のようです。


(マインド=頭、思考、自我って扱ってます。)


これからは、そのマインドの理解や気づきと、感覚や感性的にいいなと思うことを織り交ぜて、または分けて表現していこうと思います。

感覚的なでシンプルな方がウケはいいような気はするんですけどね(笑)


あ、「いちいちマインドとか自我のとか、って分けるの?めんどくさい」って方には………、それも性分でして(笑)


最近、少し文章の読みやすさに意識を注ぐようにはなりましたが、

突っ込んで理解していきたい気持ちもあるので、
いわゆるスピ分野の専門用語や本なども取り入れていく記事も書くこともあります。

以前よりはわかりやすく書けるようになっていったらとは思いますが、

例えば
「リアリティトランサーフィン」の用語「過剰ポテンシャル」
とか、
題材に扱う本のことを知らない方は完全においてきぼりな記事を書いてしまうこともあるかと思います。
(この記事の冒頭からしてそうですね。笑)。

これからもわかりにくい表現もあるかも知れません。



ですが、もうこうした自分のもたらすものを無理に抑圧することもないかと思いました。


まだこの表現スタイルの立ち位置は不明瞭ですし、アラもあるかも知れませんが、

それでもアップしてみようかと思います。



さて、これに続く記事は、
ちょっと前に書いたいくつかの記事からアップしてみようと思います。

書いた記事の順番とはずれることもあるかも知れませんので、意味の通りにくいこともあるかも知れません。意識はするようにしますけど。


スタイルとしては、
「ある程度書いた」→「あまり推敲しすぎないでもとりあえずアップ」→「アップされた記事を軽く読み通すようにする」

or「読み返してみたらヘンだ、違う、などと思った」
→「文章を直して再アップor下書きに戻すor限定記事に変更or記事ごと削除」
でいこうかな、と思ってます。
(連続記事についても同じです。記事一つ分の制限文字限界がこの記事です)


大分前の過去記事などで違和感になったものができた場合も、そうするかも知れません。


気にしいなのでこのようなお断りをちょくちょく書いてしまってますね(笑)



まあ、そんなわけなので、
面白いと思うところは温かくお付き合いくださると嬉しいです。


ではではよろしくお願いします♪
数日前に書いた記事のアップです。




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こないだの「ねこのえ」、アップしてよかったなあ~。久々の絵のアップでした。

描こうとすると描けないので、今回も描かさった感じです。


(イナバウアー以降にアップした絵の記事は、削除してもよさそうな感じがしてます(笑))




で、また戻って、ほぼ自分の気持ちやスタンスについての続きみたいな記事です。
浮かんだことを書いてます。






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無理に統合しようとしないで、その瞬間瞬間で響くことだけで十分かも、と思った。

自分と本当に繋がってもいないのに、数々の素晴らしいもの全てを同列に捉えようとしたり融合させようとしたりして、

何かに自分を縛りつけようとしたり、定義づけようとしたりするのはなんだか、無理があった。


「数々の素晴らしいもの」は、たしかに一つ一つ素晴らしいのだとしても、それらに泥を塗るわけではないが、

本来の自分と繋がっていないのに、全てに一度に手を伸ばそうとしては、一つ一つの価値なんてわからないままだ。

少なくとも今のところ、僕はそんなに器用じゃない。むしろとても不器用な方だ。

だから、絶対に何かだけがずっといい、なんてしがみつこうとする必要はないんだろうと思う。

今の自分にとって、持続は目標じゃない。むしろ持続は単なる結果。

ついしがみつく傾向がこれからもまだ続くかはともかくとして、無理矢理定義しようしようとするより、ただそのものと触れ体験するくらいの方がいい。

何かについて継続を考えるのは、よほどエネルギーが通ったらその時のことでいいだろう。

あと、今までの自分の延長の思考や不安やパターンがこれからもまだまだしばらく自分をコントロールしていくかもしれない。

でも、それはそれでいい、と開き直る方が、かえって得策かもしれない。


気持ちの上だけでも、一旦クリアにしてみたいのかも。

そのあと、また興味や関心がわくものに触れたらいいような。








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そんなことを思いました☆


頭の中のすんごいモヤが、やっとだいぶ晴れたような気がしてます。


色々なことがどんよりしていて、最近も、早く進行させたいことさえもなかなか進行できずにきました。

で、友人とお話してやっとなんだかスッキリしたり、また頭のモヤモヤを味わったりしました。

自分の中でもほんのちょっとしたささいな微妙な体験があったりしました。

それについて友人に話したら、目覚めの入口にはいるんじゃない的な話しをききましたが、

そう話してくださる友人の話しと気持ちはありがたく思いながらも、

現実の世界観がひっくり返るような見性体験みたいなものは一切してないので、

解けなかった計算問題が解けたとか、ピーマンが食べられるようになったとか、そんな驚きも達成感も恍惚感も全くないです。
ほんと、全く大した体験はしてないと思います。←行き過ぎの謙遜?

毎朝早起きできるようになった、とかの方がよほど僕には奇跡的です。

(↑この辺、三次元的なリアルにきっちり軸足を置いてるなーってわかるセリフですね。)


まあ、そういう体験の比較は置いといて。

で、友人と話してスッキリしたあとも、また頭がモヤモヤしたり、出来事に翻弄されたりしてました。

そして、昨日のちょっとした体験もあり、やっとまたスッキリした次第です。


やっと少し、取り掛かることの内の一つに手をつけてを進めるだけのエネルギーが取り戻せたのかも知れません。


そちらの方を進めつつ、記事も更新していけたらと思います。


昨日の体験は、またブログにアップしますね。





追記:大した経験はしてないと思います、と書いたのですが、そういった些細だとしてしまいがちなこと、微細な感覚の差こそが、意外に何かの分かれ目だったりするような気もしました。

ミクロを突き詰めるとマクロに通じる、みたいな。

「神は細部に宿る」とは違うのかもしれませんが。




(この理解には、目覚めについて発信下さってる方々の情報が助けになってます。)



追記2:この記事を書いておいてなんですが、あまりスッキリにこだわりすぎるのもどうかと。
感情的に揺れること多いので。
ヒューマンデザインによると、僕はマニフェスティングジェネレーターで感情が権威だというデザインを受け入れたら、ああそうだよね、で済む話しですが(^_^;)