先月の某日。

あるアニメを観てると、家族Oから「何でそんな番組観てるのかわからない、自分なら観ない」というニュアンスで、
「好きだから観てるのか?」と聞かれました。

「いや~、好きだからとかではないかな」と答えました。

さらに「面白いから観てるんじゃないのか?」と家族O。

「面白いからとかでもなく」と僕。

家族Oは、どうもはっきり言葉にできる理由づけがないと理解できず、そのままにしてはいられないようで。

僕は、そうした理由とかわからないまま観てるのがあってもいいかと思ってるので…。

「観ささってるんだからそれでよくね?」的に答えました。

他の家族Iは、理由づけなんかいらないめんどくさい、て感じでした。


「観ささる」って言葉の使い方に馴染みがない方のために、説明など。

テレビ番組「ぴったんこカンカン」で大泉洋さんが出ていた時、たしか飲食店内で同じ北海道出身の安住さんと語っていて、大泉さんから北海道の方言の話になりました。

たしか大泉さんは「書かさる」「押ささる」などの例を挙げて説明されてました。

たしかこんな感じだったかと。

「例えばだね~、ここにペンがあって書こうとするけどインクが出なくて書けない。

すると北海道の人は「このペン書かさんないね」っていうんだよ。

他にもだね、自分では気づかずに部屋の壁のスイッチを肘とか背中で押しちゃってて、点いてた部屋の明かりが消えちゃったりするとだね~、
押したそいつが「あ、ごめんごめん押ささっちゃったよ~」と言うわけよ。
すると周りも「あ~、押ささっちゃったのか~それなら仕方ないわね~」と、こうなるわけよ。」

とまあ、そんな感じで。

かたく表現すると、「動詞+ささる(ささらない)」って感じで、

「本人の意図によるものではないことだけどその人の行動がもたらした結果」について表現した方言です。

こう表現すると、なんかクッションみたいになって、自然と雰囲気もおおらかになれるような便利な言葉な感じです。

「お茶が入りました」ともなんか似てますね。

行動の結果は人を通して表現されたものだけど、その人の意志(引いては我)がそれを起こしてるのではなくて、起こることが起こった、みたいな。

〈全体〉が起こしてることに委ねる意識なら、それを通してもたらしている人に対して感謝も起こってきたり、おおらかになれたりするのかも知れませんね。

言葉ってすごい?