ちょっと言葉遣いが難しくなってるかも知れませんが、このまま続けます。



奇しくも今日某有名ブロガーAさんのブログで、枠組みに気づくことについてちらっと述べていらっしゃったので、これも共時性かな、と思いつつ……



ただし、この時点で申し上げますが。


もしも読んでいて、気分がわるくなるなど自我の抵抗が出てきたら、読むのをすぐストップされてくださいね。



・・・・・・・



また、自我は、自我世界の中での証明によって強固な存在感を築いていきたいため、

過去の体験や、体験を「積み重ねてきた」期間や、その歴史などを持って、己が正当性を証明したり主張しようとするのでしょう。


全て自我の空想の中で作り上げた仮想の枠組みなんでしょうけれど。



・・・少し話が逸れましたので、前記事からの続きに戻ります。



「気持ちいいほうがいいよね」、「喜びの方がいいよね」と聞いて、

聞いた自分の自己否定の度合い(自我の干渉が、自己否定に向かう度合い)が強かった場合。(これが今までの僕でした)



それに迎合することで変わりたい・変わらないと、と価値観を知らず知らずに握っていたら、

今度は、
「気持ちいいほうがいい、だって、みんなそっちがいいと言い出しているし。(それが出来たら救われるんだろうし)」、などと、それを新たな材料として、
それが出来ていない自分をジャッジするわけです。


(ジャッジ=価値判断に優劣や正否、成否、善悪を儲け、好ましくないとした方を否定したり責めたりすること

という意味で使っています)


外に自分を救うものや正しさがあると思い、その視点で「楽しい・喜び・ニュートラル・浄化」なども扱い、

それとワンセットで自分を責めるわけですね。

自分はNot OKで、救いを期待してるから他にOKを見出だそうとする、という。


でも、結局のところ、自分に働く自我の責める(自分はNot OK)の影響が強く、

他の「よさ」を無理矢理当て嵌めようとしても、

うなづけないし、うまくうかない、響かない・入ってこない・腑に落ちない、うわすべりする。

自己の現状否定や周りとの摩擦をどうにかしようという思いから、なんとか「よい考え」を腑に落とそうとして頑張ろうとしたりして、

それがなかなかうまくいかないと、自我はそれをエサに証明しようとする。責める材料として活かすのでしょう。





続きます。