「正しい真理を探している」(比類なき完全を探している)、けど「神の使者」の理解と実践に踏み切れない、そんな自分。
そこで、
基本となる骨子の部分からそれぞれの発信者の方々が発信されている宇宙観の根本を比較し、
その共通点や違いを認識しつつ、最終目的地や最短コースなどを知り、
自分が一番強く惹かれ、実践できる範囲内での最高の「完全な神への帰還」の方法を見つけたい。
そう思ってきました。
そうして、津留さんやManaさんや、他色々な方々のメッセージと出会ってきました。
なんだか、心にぽっかり穴が空いていて、それを埋めようと必死ですねコレ(笑)
で、それは何かというと、自分に対する否定感、生の意味や価値や宇宙に対する疑念や否定感、依存心からも来ていたと思いました。
端からみたら、現実逃避と見られるような生き方をしてきたんじゃないかと思います。
そうせざるを得ないと感じてきたんですよね。
「正しい真理をどこまでも求めて探し続けること」は僕の在り方であり行動習慣であり、それが僕の人生を成してきたんですが、
坂上さんから「正しいものをどこまでも探し続けること」の持つ性質、主に生きる上でのデメリット面からご指摘がありました。
それははっきりとした指摘だったんですが、
普段自分の繊細さを自覚してる僕が、坂上さんのこのご指摘を僕へのサポートとして受け入れてました。
「あそびやゆとりを」とご提案があり、
そこで僕は自分で自覚していたより遥かにガチガチで余裕がない考え方をしていることに、気づきました。
これは、それまでのラポールがあってこそ、坂上さんの客観的なご指摘を無理なく(心理的な抵抗が生じずに)受け入れられたのだろうと思いました。
…三次元的な望みだって沢山あるはずなのに、と再度同じ考えが戻ったりもしましたが、
「どうしても先にここをしっかりと直面して整理しておかないと」という探求話に絡む様々な例をあげてお話してきたこの流れ。
絡み合った糸をほぐし、やっている自分の在り方やそこに懸けていた強い価値観や動機・その性質・それがもたらすものに気づく、
ということをやってきた、そんなセッションの時間も終了の時間へ。
坂上さんからの締めに当たるご質問に、
「出てこない…」とピタリととまり、考えがまとまらないまま口から言葉を紡ぎだしている内に、
「あぁっ……」という気づきがきました。
続きます。
そこで、
基本となる骨子の部分からそれぞれの発信者の方々が発信されている宇宙観の根本を比較し、
その共通点や違いを認識しつつ、最終目的地や最短コースなどを知り、
自分が一番強く惹かれ、実践できる範囲内での最高の「完全な神への帰還」の方法を見つけたい。
そう思ってきました。
そうして、津留さんやManaさんや、他色々な方々のメッセージと出会ってきました。
なんだか、心にぽっかり穴が空いていて、それを埋めようと必死ですねコレ(笑)
で、それは何かというと、自分に対する否定感、生の意味や価値や宇宙に対する疑念や否定感、依存心からも来ていたと思いました。
端からみたら、現実逃避と見られるような生き方をしてきたんじゃないかと思います。
そうせざるを得ないと感じてきたんですよね。
「正しい真理をどこまでも求めて探し続けること」は僕の在り方であり行動習慣であり、それが僕の人生を成してきたんですが、
坂上さんから「正しいものをどこまでも探し続けること」の持つ性質、主に生きる上でのデメリット面からご指摘がありました。
それははっきりとした指摘だったんですが、
普段自分の繊細さを自覚してる僕が、坂上さんのこのご指摘を僕へのサポートとして受け入れてました。
「あそびやゆとりを」とご提案があり、
そこで僕は自分で自覚していたより遥かにガチガチで余裕がない考え方をしていることに、気づきました。
これは、それまでのラポールがあってこそ、坂上さんの客観的なご指摘を無理なく(心理的な抵抗が生じずに)受け入れられたのだろうと思いました。
…三次元的な望みだって沢山あるはずなのに、と再度同じ考えが戻ったりもしましたが、
「どうしても先にここをしっかりと直面して整理しておかないと」という探求話に絡む様々な例をあげてお話してきたこの流れ。
絡み合った糸をほぐし、やっている自分の在り方やそこに懸けていた強い価値観や動機・その性質・それがもたらすものに気づく、
ということをやってきた、そんなセッションの時間も終了の時間へ。
坂上さんからの締めに当たるご質問に、
「出てこない…」とピタリととまり、考えがまとまらないまま口から言葉を紡ぎだしている内に、
「あぁっ……」という気づきがきました。
続きます。