前回の記事から、自分のフォーカスを言語化しました。

今ここの自分が何を選ぶことから始めたらいいのか、全く選べないというところにいました。

ですが、いまここの自分を認めることからしか始める術を持たないという思いは相変わらずなので、

それを立脚点として、今までずっとはかどらずにきていた想念観察をすることにします。

なぜかというと、ネガティブ・ポジティブのどちらかにシフトしなければならないという二極的な捉え方を越えて、その方が「今の自分には自然なプロセス」だという感じがするからです。

過去の記憶や潜在意識や性格というプログラムが自分をコントロールしているとしても、です。

同じようなことを何度も書くかもしれませんが。

なので、ここから自分のための想念観察という意識で書くことを実行してみます。

言葉回し上、理解しにくい方や受け付けにくい方にはスルーでお願いします(*^^*)

…今まで、色んな方々から、望みを明確化させようというメッセージや、行動を促すことを聞いてきましたが、受け入れられずにきました。

ほぼ自己価値などを見失っている自分はどこにも行けない。

生き方が、立脚点が定まらない。

自分は欠けているという気持ちを埋め合わせようとする。

これはエニアグラムタイプ4に特徴的な囚われであるのだけど。

これまで立脚点がわからないために、欠けたものを埋め合わせようとしてきたけれど、そこからは自分の望みの感覚はほとんど得られなかったように思います。

そして、ひょんなことからそれが得られたと思うと、その過去の記憶の郷愁にしがみつき、それがまたこないかと期待をしたり。

そうして、自分の確かな感覚を得よう、と。

自然、自分らしさとは何だろうかと、自分探しをしたり。

ちょっとしたことがきっかけで感情的に大きく揺さぶられるので、その反動で確固たるアイデンティティを求めます。

そのきっかけとなったことを経験や批判などのせいにするので、経験ということに重きを置くことはせず、むしろ経験を避け遠ざかります。

満足もまた経験から得ていたのですが。

うつろいゆく「いま」や作り出されてはいずれ変質し無くなる形や結果に意味を見出だせなくなったり。

そんなこんなで、内面を見ることで、なんとかしようともがいてきたわけですね。

自分がこれだと納得のいく立脚点を見出だしたい。きっと、今の僕のポイントはここなんでしょう。