my spring #000 序章 (てちりさ)


街の図書館の隅。

渡邉理佐はラファエロ・サンティの画集を広げていた。何冊も積み重なった厚い画集は、視界を遮り、自分と対峙するだけだった。




2ヶ月前、憧れだった都内の芸術大学に入学したばかりなのだが、彼女はほとんど筆を握っていない。


クレパス、クレヨン、水彩絵の具。幼い頃、道具があれば絵を描いた。両親、兄弟、飼っている猫。空、山、海、雑草。日常の風景には、モチーフにしたいものはいくらでもあった。

物心ついた頃には、絵を描くのが好きだと気付き、将来は画家になりたいと思っていた。




高校は、美術科に進学。

1ルネサンスのイタリア画家、ラファエロの人物画にはまり、油絵を描き始めた。高3になり、トップの芸術大学の難関。油絵専攻に入ろうと決めてからは、理佐は友人との交流を断ち切り、テレビ、雑誌、マンガなどの娯楽も見なくなった。

授業中、寝るとき以外は、ただ、ひたすらデッサンをした。石膏、果物、モチーフは何でもよかった。何百枚描いただろう。いや、それ以上かもしれない。だが、理佐は作品を見返すことはなく、描いてはゴミ箱に捨てていた。


そうして、念願の芸術大学に現役で合格したのだった。ところが、入学してたったの2ヶ月。正念場に立たされている。

理佐には今 描きたいものが何もないのだ。


これが俗にいう、燃え尽き症候群なのだろうか。大学に入った理由もわからなくなっていた。





幼い頃の夢を記憶から引っ張り出し鼓舞しようと、憧れの画家の画集を広げるのだった。