今日は初めて、里芋の煮っ転がしを作った。
お弁当のおかずにした。

その他、お弁当の中身は、
ゆかりごはん、おでんのたまご、ちくわ、大根、豆苗のオイスター炒め。
豆苗も、二代目。
買ってきたものを食べ、その後、水を注いで育てて収穫。
初代よりは細いけれど、その生命力を感じながら食する。
なんといっても節約にもなる。
と言いつつ、写真を見ながら、「新しいお弁当箱が欲しい…」と思うのである。
最近、無意識って怖いな・・・と思う。
家の鍵を閉めたかな・・・とか、いつの間にか帰ってる・・・とか、
そりゃもう怖いことがいっぱいあるけれど、一番はやっぱり人間関係。
日頃、意識せずに話していることが、人に対してストレスになっていることもあるんだなと、
気付かされることがあった。
わたしの方は悪気は一切ないのだけれど、それが一番性質が悪い。
自分が思っている自分と、人から見えている自分は違うのかもしれない。
真面目に考え出すと、本当に怖くなる。
自分の立っている場所が、実は安定していない場所だったかのような、
そんな気持ちにすらなる。
年月を経て、ずいぶんと鈍感になったと思うけど、
周りが思っているよりも、わたしは<気にしい>だ。
標準語で言うと何て言うのかな?
まぁ、ショックだったわけです。
わたしは最低だな・・・と落ち込むのであります。
・・・が、そこで終われば、わたしも女がすたる。
経験に無駄はない。
今、気付かされてむしろ良かった。
これから先は、無意識を意識すればいいんだ。
それだけのこと。
意識して行動したことが、人に非難を浴びるようなことがあれば、
それはもはや自己責任。
怖くもなんともない。
正直な話、ここのところ、対人関係について手を抜いていたなと思う。
自分で言うのもなんだが、普段<気い遣いい>の人間が手を抜くとそれだけで、
「機嫌が悪い」と言われることもある。
お局様になりつつもあるのだから、それはそれで人に怖がられる要素にもなる。
あぁ、面倒くさい。
でもだからこそ、生き甲斐がある。
いくつになっても、自己研鑽は大事だなと思う。
面倒くさがりな自分を叱咤激励して、もうちょっとましな人間になれたらと思うのである。
気にしい、うれし、いきり・・・など、
関西弁には、人の性質をずばりと言うボキャブラリーがたくさんある。
<うれし>は、うれしがりともいい、些細なことでも喜んで話す人。お調子者という意味合いもある。
<いきり>は、いきがっている人。虚勢を張るという意味合いもある。
わたしは、うれしだけど、いきりにはなりたくないかな・・・。
関西弁をこよなく愛するわたしは、よしもと新喜劇をこよなく愛する。
竜じいこと、井上竜夫さんの訃報には、ひっくり返るくらい驚いた。
最近観ることがなかったから、お体が悪いのかなと思ってはいたけれど、やっぱりショックだ。
「三途の川が~」というギャグにツッコミを入れられることなく、渡ってしまわれたんだなぁ。
天国でも新喜劇をやってて欲しいなぁ。
ご冥福をお祈りします。