よく家に置いてるお菓子は?

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今回、ちょっと長文。
普段はあれも書きたいこれも書こう
という中から添削して
コンパクトにまとめてるんですが
気分転換にあれもこれも書こうかなと。
話があっちこっちに飛びます。
纏まりがつかずだらだら続く長文です。
なので読み飛ばしてかまいません。
完全な自己満足ですから💦
 
 
甘いもの、菓子は好きなので
いくら金欠状態でも
必ず手元に置くようにしてます。
普通の食事では偏食気味なほうですが
(牛肉と刺身がダメ。
寿司と焼き肉・ステーキは一生食べなくても平気)
甘いものなら何でもOK。
 
また、自分はすぐ影響を受ける性質なので
花輪和一の名作漫画「刑務所の中」を読んだ後
すぐアルフォートを買って好きになりました💦
今冷蔵庫確認したら、アルフォートあった。
一年通じて発作的にこれが食べたくなった時用に
冷蔵庫に保存してあるんです。


この「刑務所の中」映画化されてますが
これもまた名作。
出ているメンツが豪華。
食事や甘いものの描写がやたら美味そうで
話題になった。偶然にも
のちに『孤独のグルメ』で活躍する
松重豊さんも出演してますね。
 
この映画見ると全体通してほのかな平穏感
ヒンディー語でいう
シャンティShanti( शान्तिः (śāntiḥ)に
似たようなのどかで平和な空気が漂ってる。
上図の映画ポスターでも小さく
「一週間くらいなら入ってみたい」
と書いてあるが
なんとなく幸せそう・
居心地がよさそう感がある。
犯罪犯した人間を収容する場所なので
幸せそうというのは激しく間違っているが
描き方の上手さも相まって、そう思えてしまう。
 
太宰治の「斜陽」という作品のなかで
幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、
幽かに光っている砂金のようなもの
という言葉が出てくる。
前後の文章を引用する:
お母さまは、淋しそうにお笑いになった。
それからしばらくして、
「泣きたくても、もう、涙が出なくなったのよ」
 とおっしゃった。
 私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、
とふと思った。
幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、
幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。
悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、
あれが幸福感というものならば(後略
 
法を犯した人間が収容される場所のなので
悲哀の川という表現はちょっと違うと思うが
(まあ中には過失や不可抗力で
犯罪行為に至ってしまった
哀しい事情の囚人もいるだろうけど)
刑務所という、
一見幸せの欠片もないような場所で、
ネガティやマイナスの極致のような状況で
見いだされる平穏な様子が興味深い。
 
またこの映画の中では甘いものへの
如飢如渇が色濃く描かれているが
これは自分もわかる。
人間、食事に関して質素なものが続くと
最後まで残るのが『甘いものが食べたい』
になるのだ。
急いで書き加えますが、
私は刑務所に入ったことはないですよ💦
 
自分は若い頃京都に住んでいて、その時数回
禅寺で臘八大摂心というものに
参加したことがある。
臘八大摂心とは、
年末7日間に行われる集中修業期間の
ようなもので、睡眠時間も削って
作務と座禅に徹する
なかなかに厳しい7日間です。
余談ですが未だに隻手音声の公案は透過できてません
 
この厳しい7日間、作務で体動かしてその合間や
夜の間座禅して過ごすわけですが
後半になるほど当然
心身ともに疲労がたまってくる。
そういう時って強烈に甘いものが
欲しくなるんですよ。
肉や脂っこいものではなく甘いもの。糖分。
自分だけではなく、一緒に参加してたおじさんや
学生も同じように甘いものが食べたいと
仰っていたので
おそらく体が求めるんでしょうね本能的に。
身体的疲労に加え公案の拈提で追い詰められた
脳がエネルギー不足になったんでしょう。
ブドウ糖(グルコース)不足で本能で
甘いものを求める感じ。
大摂心が終わった後、
茶礼でだされたお菓子、
鍵善の『おいもさん』が美味かったこと!
(おひもこん、ではなく
おいもさんと書かれてる。
自分も初見の時間違って読んで
「これ、おいもさんって書いてあるんですよ」
とやんわり言われた)
 
だからってわけではないけど
甘いものがすきです。大好きです。
京都に住んでた頃は
よく俵屋吉富の雲龍や
鍵善の干菓子を買ってました。
 
また、自分はアルコールを飲まないし
飲む習慣もないので、その分の比重が
甘いものに行くのかもしれない。