今日は暑くなる前にササっと散歩を済ませてきた。

最近よく行く運河沿いの道だけど、暇に飽かせてぶらついてる近隣住民が結構いた

まぁ今日は天気が良かったですしね。

この日もユリカモメが波打ち際に多数とまっていた。

今の時期、この鳥は頭が黒くなるんだとか。

堤防の波打ち際でマクドナルドのテイクアウトを食べてる女性や

ぼんやりユリカモメを飽くことなく眺めてるおっさん(自分ではない)や

犬の散歩のついでに寄ったらしい年配の女性など、結構人がいた

帰り際に天祖諏訪神社に寄ってお参り。

ついでにハゴロモジャスミンの茂みを確認

もう7分咲きでかなりのつぼみが花開いていた、

近づくと花の香りがさらに濃厚にかおる

普段より短めの距離の散歩だけど汗かいちゃいますね、この陽気だと

 

私のストレス発散法

ちょっと理屈っぽい話になりますが。

 

とにかく意識を内側に向けない・集中させないこと。

「ま、いいか」精神というか関西弁でいう「さよか」的というか

仏教でいう「執着しない」というか。

ストレスの源をかるーくあしらって相手にしない。

そういう風にしてまず心にしがみついてるストレス源を引き剥がしたのち、

ヘッドホンで音楽ハマリ聞きしたり、外に出れる体調の時は散歩したり。

 

バートランド・ラッセルという人が著した「幸福論」の

『第16章 努力と諦め』のなかで

避けられない不幸に時間と感情を浪費しない、無駄なエネルギーを浪費しない、

感情の浪費を避けること、と言っている。

 

以下は「幸福論 11章 いろいろな熱意の形態」から抜粋


シャーロック・ホームズは通りに落ちている帽子を偶然見つけ、拾いあげた。
しばらくの間その帽子を眺めた後、ホームズはその帽子の持ち主は酒のために落ちぶれ、

妻はもう以前ほど彼を愛していない,と言った。
『何げない物』からこれほど豊かな興味を与えられる人(ホームズのような人)にとって
人生が退屈であるはずはないだろう。田舎を散歩している途中で気づくであろう、
種々の事物について考えてみるとよい。ある人は「小鳥」に興味を持つだろう。
ある人は「植物」に,ある人は「地質」に,またある人は「農業」に…といった具合である。
(中略)
これらのいずれか1つに興味を持っている人は、

興味を持たない人よりも世界によりよく適応しているのである。

 

あなたの興味をできる限り幅広くせよ、と。

そして

気が病んだ時はできるだけ自然なもの、小さな愛らしいものに目を向けよ、とも。

 

なんだかお説教じみてきた、まとまりがないですがこれで止めます。

 

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