先の雑記をかいてる時にふと心に浮かんだことがあったので書いておく。
自分は去年から生活保護を受給していてもうすぐ1年目になるが、
この制度を利用していなかったら間違いなく死んでいた。
去年の今頃(当時の)状況は、鬱と統合失調症からくる幻聴と気分の停滞、陰性症状に加え
パニック障害も併発して電車やバスに乗れないので短期バイトにも行けずに悶々と
部屋に引きこもっていた。当然家賃も払えずセルフネグレクト状態だったが、
家賃滞納の件で管理会社から遠方に住んでいる実母に連絡がいき、事の次第が判明。
母も遠方で金銭的な余裕がなく助けられないので、母のほうから生活保護受給を勧めてきた。
全く期待もせずに役所の窓口に相談しに行ったらあっさり受理されて
通院治療も受けられることになり、現在保護を受けながら療養中である。
相談に行ったとき、窓口の相談員の方が言っていたことだが
『ここに相談に来る時点で相当追い詰められている人が多すぎる。
もっと早い段階で保護受給の相談に来てほしい』とぼやいてた。
自分が改めてここに書くまでもないが、保護を受給するのに抵抗感や「恥」の概念
(というつまらないプライド)世間体といったものが気になり結果手遅れになるケースが多々ある。
保護受給の際に一番抵抗感を醸し出すポイント【扶養照会】だが
なぜか自分のところ(自分の父母兄弟)にはまだ郵便や電話すら来ていない。
これは母に聞いて確認をとった。扶養照会らしき書類も役所からの電話も
保護受給開始から11か月たつ現在まで音沙汰無し。新コロナ以降、だいぶ緩くなってきているのでは?もしくは保護を受けるハードルを上げている一番の障壁、という自覚があるので
申請時の相談者の状況を鑑みて省略(もしくは照会するまでもないケース)と判断してるのか。
ただこれも自治体によってだいぶ対応に差が出そうなのはネックだ。
もちろん不正受給や回復して元気なのに保護を受け続けるケースは論外だが
もっと気軽に生活保護を受給してもいいのではないか、と思う。
ネットで色々記事を読むと『保護を受けるなら死んだほうがましだ』という意見もあるらしいが
過去の自分を含め明らかに保護が必要な状態なのに固定観念や通俗的な思い込みで
知らずのうちに自分を追い詰めているケースがあるのは悲しい。
保護を拒否した挙句飢えたり体を壊して死んでしまうほどに守りたい見栄なんてないはずである
自分の好きな作家のひとりの坂口安吾は『不良少年とキリスト』という随筆の中で
【人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。】
と書いているが本当そうだとしみじみ思う。