家族と戸籍の問題 | & R

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2015.10.2 ブログは終了しました。
今後は自分の気持ちの吐き出しや心の整理の為の記事になるのでアメンバー記事になります。
尚、アメンバーは受け付けていませんのでご了承下さい。

お風呂に入った人、まだこれからの人
最後の人はお湯を流すこと
じいじが流していいのか迷うらしくわかるようにしたいとのことで
ボードに名前とマグネットを貼った
主に旦那とじいじの為のものなんだけどね
それを見た息子が

◯◯は?

って聞いてきた
◯◯ってあの子の事
息子はお兄ちゃんとは呼ばず名前であの子を呼ぶ

息子にとってちゃんとあの子も家族なんだなって感じた
ばあばもたまに息子にせがまれて入ったりするけどばあばのは?って聞かなかった
一緒に暮らしてないからかな


戸籍には載らない
戸籍上存在しない命
それがあの子

でも息子はちゃんとあの子を家族と理解した
戸籍に載せたいと
載らないことを嘆いたけど
今はもうこだわりが消えた
息子があの子の事を家族として理解した
あの子は長男だけど戸籍では息子が長男
あの子はただあの子で
あの子は長男でも何でもないただ家族
うまく言えないけど
新しくあの子の事を知ってほしいのはあとは末っ子だけで
あの子の存在を主張したい気持ちも薄らいだ
知っててほしい人が知ればそれでいい
公的書類にあの子の存在が載らなくても、もういい
公的にあの子の存在は無かったことになったけどあの子は確かに存在した


5年半過ぎて、色んな気持ちが変化した
愛してる、生きてて欲しかった
その気持ちは今も変わらない
でも、どうしてって言う悲しさや悔しさや色んな感情にはある程度折り合いをつける事が出来た
日々の生活の中で泣き崩れることも、あの出来事に気持ちを引っ張られることも無く
あの子の事は通常の感情とは違う場所に置いた
それは蓋をしたと言うのかもしれない
もしかしたら現実を受け入れてないって言うのかもしれない
でもそれであの子を穏やかに想えるならそれでいいんだ、私は


生きて産まれなかった子は戸籍に載らない
それは法律で決まってて
当時の私もそんな法律馬鹿げてるとどんなに思っただろう
だって死んだ証明はされるのに生きた証明はされない
生きてないのに死の証明するなんて矛盾の極みだよ
存在しない扱いの子を生きて死んだ1人の人と同じ手続きをして送り出す
これが愛する我が子を誕生死した親にとってどれほど残酷な事か
少しでいい、考えてほしい
何事も経験しなきゃその気持ちはわからないって言うけど、誕生死も正にそれだと思う
その親の気持ちは想像する事も簡単じゃない
何て声を掛けたらいいか、、、
って言う言葉が現実
寄り添いたくても簡単に寄り添えない
それが誕生死を経験した親と周りの現実
だから遠く離れた政府の人間にたった1人の誕生死を想像する事は出来ないだろう
だから少しだけでいいから考えてほしい

私みたいに載せたいと願う人がいれば
逆に載せたくない人もいる
載せるのは在胎何週とするのか

この難しい問題に一歩踏み出した人が居る
署名をお願いしてる人が居る
賛同する人達も居る

たった1人の声じゃ届かなくてもたくさんの声が集まれば政府にも届けられる
少しだけ考えてもらえる
法律が変えられるかもしれない

とてもデリケートで難しい問題だけど
少しでも今ある矛盾がなくなりますように


戸籍って家族って証明される一番大きな書類
たかが紙切れ一枚
されど紙切れ一枚
そこに載れば存在は証明される


生きて産んであげられなかった親の権利で
生きて産まれられなかった子にも
生きた証明を下さい


戸籍の法律が変わってもきっと遡ってまで対応してくれないだろう
だからあの子はやっぱり矛盾のまま
存在しなかった命なんだろうな
でももうやっぱりいいんだ
あの子のことは知ってほしい人が知れば公的に証明されなくたっていい
あの子はあの子の命を全うした
あの子の事は、今の形でもいい
矛盾はあるけどもういいんだ

これからも先も誕生死をする家族は無くならない
その人たちにとって法律の改正が救いになるなら
今法律に立ち向かうことは無駄じゃない
いつかあの子が受けた矛盾がなくなりますように