天安門事件と言えば、中国にとっては特別な場所だ。大挙して集まった学生運動を制圧するために、戦車まで持ち出して、武力で圧した天安門広場。そこでまたこういう事件が起こるのは、特別な意味があるのかもしれない。
ウイグル自治区から独立を果たそうとする運動は、日本ではほとんど聞かれない。平和的なデモや運動が望ましいと考えるのは、ここが日本という国だからなのだろう。時に暴力で圧する相手には、暴力が必要なのではないか、俺はそう思う。かといってテロ行為を容認するわけではないけれど。
ここ日本のネットから、「こんな報復行為は間違っている!平和的に解決すべきだ!」と御託を並べることは簡単だ。簡単過ぎる。だから、彼らの置かれている立場というものが理解出来ないんじゃないか、と思うところはある。平和とか綺麗事を並べるお花畑な思想論は、チベットやウイグルの弾圧を受けている人たちには響かないのではないか。日本に居ると実感しにくいけれど、こういう自分たちの身を守り、独立を勝ち取るためには、武力はやはり必要なのではないだろうか。俺はそう思う。
今回の衝突は、たまたま起きた事故なのか、それとも狙った報復行為なのか、背景は憶測出来るけれど、原因は未だよくわからない。中国の報道は信用がならない。たまたま起きた事故を、ウイグル族に汚名を着せたとか、そういう情報操作もあり得るのだ。独立を勝ち取るための手段は、ウイグル族たちで決めればいい。当事者のウイグル族が、当事者の立場で決めればいい。衝突画像を眺めて、「こんな方法はいけない」なんて批判することなんて俺には出来ない。だから出来ることと言えば、起こっている事実を具に見せて、拡散して、チベットやウイグルの現状を知らせることなのでは。

