広島に原爆が投下された日。そして、後の15日に戦争が終結した。
「当時の日本は、軍部、軍国主義により周辺国を侵略。戦争開戦時は連戦連勝だったが、
アメリカら連合軍が徐々に戦勢を強め、ついに同盟国であるイタリアならびにドイツが降伏。
日本は既に降伏勧告を受けていたが、これを拒否。ついに広島・長崎と2発の原爆投下を受け、
降伏を決定。天皇陛下の玉音放送を聴いた国民は、敗戦・終結を知る」
・・・と言うのが俺の知ってる、大雑把な戦争の概要。(大雑把過ぎる・・・)
でもこれは学生の頃の知識。
社会人になってから知ったのが、
「当時の大東亜戦争が起きたキッカケは、欧州ら白人諸国の植民地政策に脅かされたアジア諸国を解放せしめんが為」
「当時の日本軍は、俺らが想像するような残酷な支配・侵略を強要したものではなく、どちらかというと現地に日本の技術を伝え、近代化を助けた」
学生の学校教育で知るのが否定的な面で、社会人になってから知ったのが肯定的な面。
アジア解放の為、とは言うけれど丸々正当化するのは危ういとは思う。戦争には侵略というものが付いて回るモノだし、それを否定出来ない。
だけど、学校で知るような内容だけで戦争を語るのも、現実を見ないで平和という名の美辞麗句に染まりすぎなのでは、とも思うのよね。
実際、広島の平和記念公園にある原爆死没者の慰霊碑に刻まれている言葉は、
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」
言葉をそのまま取ると、戦争という過ちを犯した日本は、二度と過ちはしないと戦没者へ言葉を呼びかけている、ってことになるよね。だけどもう少し深く考えてもらいたい。
「当時の戦争で、最大の過ちを犯したのは原爆を投下したアメリカじゃないの?」
「死没者へ慰霊の念を込めるのは当たり前。俺たち現代日本でしなけりゃならないのは国を守ることじゃないの?」
「今の俺たちって、国を守ってるって、彼らに言えるんだっけ?」
と、言うこと。竹島や尖閣諸島が脅かされてる現実は、国を守っていると言えるんだろうか?日本人が拉致されて、救出出来ないままで、脅かされているような現状に甘んじていることは彼らに対する過ちじゃないの?過ちを犯していないって、彼らに言えるの?
国を守る、という手段は何も直接な武力に頼らなければ実現できないシロモノではない。
威圧的に武力を見せ付ける間接的な手法や、外交で周辺国に協力を呼びかけたり、あるいは経済で主導権を握って戦争を仕掛けるどころではなくなるようにしたり、当時に比べて選択肢は多いと思う。
俺はナニが言いたいのか。
原爆を落としたメリケンの言うことに必ずしも言うことを聞く必要は無い。
TPPも参加する必要は無い。オスプレイは必要だと思うけど。
アメリカがヤッツケで作った憲法にそこまでこだわる必要は無い。拉致問題解決に進まないのは憲法に一因があるなら、それは国を守る憲法になっていないということ。
原発イコール原爆ではない。エネルギーは必要なものだし、産業空洞化を食い止めて日本国内に、国内企業を再帰させるにはエネルギーの充実は必須。
原発の技術者は希少であり、必要だ。安全性を高めた原発を実現するためには、日本に原発が無ければいけない。原発が日本に無くなったら、技術者はいなくなる。外国に技術者を追い払うようなマネをして国が守れるか!
技術は一年やそこらでホイホイ出来るシロモノじゃない。海外に奪われて、追い抜かれて、それで日本が立ち行かなくなったら?
話を戻そう。どこかしら疑問に思うのは、学生に教える「太平洋戦争」って、きっかけや過程が凄くあやふやで、終結時の原爆投下や降伏・終戦のところしかほとんどクローズアップされていないのよね。まるでタブー視されているかのような。あやふやなまま大人になった人のほうが多いと思う(俺もそうだが・・・)
戦争を起こさせないためにやらなきゃいけないことは、なぜ戦争が起きたのか?当時の国内・海外情勢を背景に、なぜ日本は戦争を続けたのか?んでもってなぜ負けたのか?
結果だけを知って「戦争反対!」「平和維持!」と叫ぶだけでは済まなくなってきている。
これからも、過った選択をしないために、なぜ過った選択をしたのか?を知ることは大事だ。
現代の日本がやっちゃいけない過ちってなんだろうか?石碑に刻まれた言葉そのままに、戦争をしないことって
叫んだり心に刻むことだけか?
俺はそうは思わない。かといって、戦争をしろ、ってことでもない。
俺はこう解釈する。戦争をしないために、国を守っていくために行動することと。