滋賀県大津市の中2男子の自殺事件を発端に、全国各地で明らかになってくる中学校でのいじめ問題。それら..........≪続きを読む≫
大津のいじめ事件を切り口に、いじめ被害の事件がオリンピックの報道を縫うように連発している。
このアメーバニュースでは私学の、私学であるがゆえの隠蔽体質を語っている。確かに私学のほうがスキャンダルに対して敏感だ。
入学者の数と、生徒の進学実績、著名人の輩出が経営にリンクしやすい私学だからというのは当然のことと言える。
だが、これで言いのだろうか?世間のいじめに対する見方というのは変化しつつある。いじめの悪質性、犯罪とも取られない卑劣な手口、収入も無い学生なのにヤクザばりの恐喝と追い込み方は「いじめ」という言葉にするには温すぎる。
こんなシロアリみたいな連中を抱え込んで、いじめ被害者を退学させるほうがよほど社会正義を無視しているし、スキャンダルのダメージは遥かにデカイ。
いっそいじめ加害者を徹底的に退学・停学に追い込み、排除していく姿勢を取ることのほうが社会的に評価されるべきなんではないか。
子供の道理に大人の道理を持ち込むのは誤りだと考える人は居る。
だがその子供の道理ってものを野放しにして、何の罰も咎めも与えない大人は、俺からすれば尚更誤りだと思う。
授業中に騒げばチョークをぶつけりゃいいし、机をひっくり返してもいい。言葉遣いも反省も知らない奴には、横っ面ひっぱたいてもいい。
教師の行き過ぎた体罰は問題があるが、そんなケースのほうがレアケース。
必要なはずなのに手を出せない、そんなケースのほうが遥かに多い。
むしろそういうところで「必要とあらば手を出してもいい」と政府や文科省側が後押ししてもいい。
荒療治なのは承知しているが、今ここで必要なのは、荒療治だと思う。