【オウム関連報道を見て思ったこと】宗教なんて要らないんじゃないの? | AQUOSアニキの言いたい放題

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徒然なるままに俺自身のネタや、政治・社会ニュースへの辛口コメント、最近観た映画の感想とかを書き綴ります。

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サリン事件当時、中学生だった俺にとっては、「そんな事件もあったなー」って感覚で、衆議院選挙に出馬したのも「へぇー」くらいなものだった。


今思えば、政教分離だとかもそうだけど、全財産奪ったり家族を引き離したり、部外者を拉致やら殺害やらしまくる奴らが政界に乗り出すなんてとんでもない話だった。己の無知さが怖いぜ・・・。


それはさておき、「オウムとは?」といったおさらい感覚で近日報道されてるんだけど、ちょっと思ったことをここで書きたい。


「随分と、金銭のかかる宗教なんだな」


何十万、何百万円とか、修行やるのに金のかかる宗教なんて聞いたことないぞ。俺が人生で学んだことは、「自分が学ぼうとすることに、本当に必要なのは金ではなく意思」なんだがな。金銭の多寡で決まる修行なんて可笑しいだろ。

財産に手をつける宗教もおかしなもんだが、人生観とか真理、社会観を追求するのが目的の宗教でやたらと金のかかるのも可笑しい。

高学歴で理系な学生が入信したらしいけれど、こういうところで疑問に思わなかったのかな。

学問や研究にカネがかかるのは当たり前だけれど、最も必要なのは自分で学び取ろうとする意思と、日常を日々考える習慣。

これさえあれば「自称」偉い人のご高説を賜らなくても、自身で考えを導いて人生を拓いていけるようにも思うのだが。

宗教なんてもの、カネがかかるってこと自体が異常に見える。




オウムに限らず、俺は宗教というものに対して「人類が生み出した最凶最悪の粗大ゴミ」という偏見しか沸かない。なぜなら、宗教なんて他人を傷つける道具や言い分、歪んだ正当化の材料にしか使われないからだ。


2000年ちょっと前に生まれた野郎の言うことを未だに妄信して、争いのタネにしか使われないのなら、最初からそんな野郎の言うことなんて信じなきゃいい。


民衆のために立ち上がった王子様が、王族の地位を捨てて地方を歩き回ったのなら、その気持ちを重要視すればいい。修行がどうのこうのなんて、そいつは手段であり目的じゃない。もっとも大事なことは他者や周囲をどれだけ慮れるかってところじゃないのか。


「人類が生み出した最凶最悪の粗大ゴミ」は、色々と種類があって、そのゴミを増殖させるべく各家庭を訪問する。生きるのに迷ったんならそのときに打ち明ければいい。「あなた迷ってるでしょう」って勝手に決め付けて乗り込んでくるのは無礼そのもの。生きる真理はそいつが勝手に決めればいいだけのもので、千変万化でいい。


「人類が生み出した最凶最悪の粗大ゴミ」はそういう基本すら無い。