これから俺は、"極端"な話をする。自分で極端な話だと分かっている上で話を進めることにする。
ズバリ言って、今の日本の社会、誰も彼もが「のび太」になりたがっていると見ていい。誰かに「ドラえもん」になって欲しくて、道具を出して欲しいと願っている連中だと思う。
※極端な話なのであしからず。
分かりにくい例だったかもしれないので、いくつか例を挙げる。例えばタクシー代わりに救急車を使う。自分の子供の教育を教師に任せきりにする。自分の親の介護や世話を介護師に任せてほったらかしにする。
これらの例で分かってもらえただろうか?要するに、他人を「都合の良いように」扱いたがっている人が増えている。自分の求めるものを他人が分かっていると思いがちであることだ。
それからもう一つ。「のび太」になりたがる一方で、「ドラえもん」になろうとする矛盾も存在する。
例えば、日本の企業は人件費を削りたがる傾向にある。人件費を削るということは、一般社員の給料を減らすということだ。労働組合のある会社なら「減らしてんじゃねーよボケェ」と団体交渉することも可能だが最近の企業は労働組合すらも存在しない、「言いなり」にならざると得ない会社が多い。
フツーに考えれば「給料減らすだぁ?やってらんねーよボケェ」と仕事の質を落として反撃でもしてやればいいのだがそうはいかない。
「不景気だから」や「クビになりたくない」という後ろ向きな理由で「ドラえもん」になろうとする。逆に企業や上司、あるいは客先、はたまた親会社は「ドラえもん」に成り下がった相手からさらに「道具」という名のサービスを要求し、出して当然と「のび太」のように振舞う。
サービスも行き過ぎれば誰も「ドラえもん」になんぞなりたがらない。それなら「のび太」になりたがる。だが後ろ向きな理由から「ドラえもん」にならざるを得ない。
そして「のび太・ドラえもん」のダメスパイラルな関係はいつまでも続く。
「お客様第一主義」も行き過ぎればロクなことにならない。行き過ぎたサービスは不幸を招く。
”極端”な話だが、そういうコト。