男性もそういう貧困層は居ると思うけど、貧困の為に将来を食いつぶされるってのはなんか違うと思う。
でまぁ、『結婚』というキッカケに自分を変えてくれるという『夢』とか『期待』を委ねようとする考え方は当然あるものだよね。結婚相手が自分を変えてくれるという期待を持つこと自体は大切だし。実際に子供が居れば必然的に変わると思う。
でも反面で、晩婚化、離婚件数も増加しているという現実もある。芸能人がよく離婚するときの理由として『イメージが違った』というコメントはよく聞く話だ。俺がフラレる理由もそのテのコメントは聞く話だが

んでだ、結婚する人って相手にどれくらい結婚生活のイメージをハッキリさせてるかっていうと、ジッサイ一から十までイメージしてないんじゃない?
せいぜい三か四くらいで、人によっては一とか二くらいじゃないの?
十まで、ないし八とか九までイメージしないとダメっていうのは、相手に責任とか期待を寄せすぎだと思うワケよ。
そう考えると結婚ってのはセキニンだなんだってのは勿論必要だけど、ある反面で『無責任さ』も必要だと思うんだ。
セキニンだのギムだのばっかり押し付けてたら息が詰まるし、何のために結婚したのかワケワカンネーな展開になるワケよ。
ここで言う『無責任さ』っていうのは『投げやり』だとか『放棄』って意味じゃない。『テキトーさ』の意味だ。結婚てのは『テキトーさ』も受け入れる一歩をが踏み出さないと出来ない時代になってる気がするんだよなー。