俺は考えた。『幸福とは麻薬のようなものだ』と。 | AQUOSアニキの言いたい放題

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徒然なるままに俺自身のネタや、政治・社会ニュースへの辛口コメント、最近観た映画の感想とかを書き綴ります。

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『好きな人と気持ちが通じ合うこと』が幸福。
あるいは『結婚したり子供が生まれたりすること』が幸福。
またあるいは、神に祝福される云々かんぬんなことが幸福。
俺は特に宗教信じてるワケでもないし歴史にはかなり疎いほうだ。倫理や道徳の授業よりも数学や物理が大好きな人間だ。
人間の何たるかとか万人が尽くしても答えられなかった分野なんか興味無かった。誰もが認めざるを得ない『定理』や『法則』『公式』『証明』の美しさに見惚れていたからだ。答えのあるもののほうが小難しく延々と考えるより楽しい。
解法が解らなくてもそれに伴ったアプローチが大事なのであり、正解かどうかの判定はコンビニ弁当の漬物のようなレベルの物事に過ぎない。過程が大事なのだと言っている。
ところが、だ。その過程が大事だという考え方は、『生きる目的』だの『勇気』だの『幸福論』にも当て嵌まる。

数式使えないのが残念だが、少なからずこういう分野にも興味が持てた。
さて考えてみよう。

さっきも書いたけど、俺は宗教だの歴史だのには大分疎い。むしろフツーの人よりもモノを知らないと言っていい。だがそれでも考えてみる。

一番最初に書いたような『恋愛』や『共感』『結婚』『出産』『継承』『祝福』云々については考えない。俺にとってそれはスケールが大きすぎるからだ。それに『幸福とは何か?』という問いに対してこういう答を並べるとそれ以外の選択肢がまるで無いようだ。それではただの思考停止だろう。
だからもっとスケールを小さくして考えるのだ。

幸福とは小さな小さな快感の積み重ねだと思う。
達成感や感動の連続や経過によって生まれる。
音楽や食事、運動、などの外的な感覚から得る快感。絵画や文学、あるいは言葉から伝えられる内的な感覚から得る快感。
これらの複合要素が『幸福』なのだと。
しかしこれらにはデメリットがある。【持続しない】という点だ。だからタイトルにもあるように『幸福とは麻薬のようなもの』と位置付けた。納得出来る点もある。幸福は追い求め続けるものだし、一度手に入れたから満足するものではない。そういう積み重ねが『人間の幸福』に繋がったんだと。
だがそう考えると、幸福は【不自由】なものだ。幸福は【欲】が源だからだ。
欲が無ければ幸福になれないし、幸福になりたいという欲は必要だ。欲と無縁になった人はそれなりに満足感は得られるだろうが大多数はそうはいかない。

幸福を求めたがるがゆえに社会は発展してきたし、便利にもなった。しかし同時に他人に不幸を強いる社会にもなった。幸福を求めるということは他人に不幸を強いるということでもあるのだろう。
つくづく、『エネルギー保存の法則』『質量保存の法則』なのだなと思う。