思うこと自体が、社会に踊らされてる気がする。いーように扱われてるというか。
『緊張するとまともに話せない』。それが日常的に頻発しやすいのが俺の性質だ。
俺はこの欠陥があるだけで、自分が社会のゴミだとか思っている。周囲の足を引っ張るだけで、都合の良いように使われてそのうち捨てられる存在のよーに感じている。消しゴムのケース紙だとか、爪楊枝だとかのよーに。
…だけど、そう考えること自体が間違ってる気がする。
『使えない奴は捨てる。捨てられる』
いつからこんな言葉が蔓延するようになったのか。使えないと切って捨てられたわけでもないくせに、自分から孤立しようとしている。
つまり俺は、『使えない奴は捨てる、捨てられる』という社会の悪法、ルールに敗北しているわけだ。まだ銃を突き付けられて無いのに、自分から両手を挙げてホールダップしてるわけだ。
うーん。馬鹿が馬鹿なりに考えてみたんだが、『捨てる、捨てられる』とかいうしょーもない被害妄想に巻き込まれてるだけのよーな気がする。
確かにリストラとかあるし、日本企業のくっだらないヒエラルキーや封建制度のせいで『捨てる、捨てられる』という考えに落ち込んでしまってるよーにも思える。
今まで人から『捨てられる』ってことが多かったからそういう風に考えるよーになってたのかもしれん。
誰か俺を拾ってくれ。俺も拾うから。
…?
『拾う社会』
なんか良いフレーズだな。『拾う』か。拾う、拾う。
『今こそ拾う社会を!!』
…なんか政治ポスターみてぇなフレーズだなこれ。
人が人を捨てる社会は何か疲れるだろ。拾い合おうぜ、お互いに。俺も拾うからさ。