極端な例を取るけど、古い時代から奴隷というモノは存在していた。家具だとか道具という扱いで人間を使っていた。奴隷解放ってのは歴史上何度もあったわけだけど、結果自由を得たとして幸せだったか?
結論から言えばこれはYESだろう。衣食住すらままならない扱いというのは不幸そのもの。
じゃあ今度は、もうちょっとシンプルな例にして、戦後の昭和の日本『団塊の世代』で考えてみよう。
これも概ね幸せだったと思う。職業選択とか結婚とかこの手の自由を手にして活発だったと思う。それまで縛られていた慣習に対して、自由ということに真剣に考えることが出来たのだから。
ここから本題。現代の日本はどうだ?生まれながらにして自由を得ている現代人。当たり前のように手にしている『自由』。プライバシーだとか、何やってもいいとか、子供に対する教育は親の自由とか、『自由という名の毒』が人間に回っているように見える。
個人を大事にするといえば聞こえは良いけど、共感だとかつながりというものが無い。他人に対して無関心という猛毒が社会を腐食してるように見えるんだけど。
勝手な解釈だけど『愛情』の反対語は『無関心』だと思う。ここで言うのは恋愛感情だけじゃなくて友情だとかそのへん引っくるめて『愛情』と考えておく。
『自由とは、毒にも薬にもなる』と思うのだ。
現代で必要なのは『自由を求める我が儘』ではなく『ある程度許容された束縛』ではないだろうか。
行きすぎた自由は人を不幸にする。自由の反対語は『束縛』だと思う。
人間同士のつながりを作るために『束縛』は必要だと思う。