※まず最初に、これはただの俺の仮説、想像であることを前置きしておく。証拠は無いし、俺の仮説が正しいかどうか検証しようとも思わない。こういう考え方もある、という程度に読んでもらえればいいです。
カダフィ大佐が死亡した。その死因ははっきりしないままで、おそらくこの先未来永劫真相は明らかになることは無いだろう。
なぜ公表されないのか?ウケが良いのは陰謀説だとかカネや利権絡みの説が飛び交うのだろうが、俺はそうは思わない。
死因が公表されないのは、リビア国民の『正義』が絡んでいるからだと俺は考えている。そもそも反カダフィ派はリビア全土をほぼ制圧、掌握し、いよいよカダフィ本人を探せと躍起になっているところだった。カダフィを捕らえることで自分達の『正義』は世に知らしめ、或いは歴史に形として残すことになる。
これは圧政を強いてきたカダフィへの国民の復讐というよりも、正義が絡んでいると俺は考える。カダフィが死亡したことは衆人環視の下、間違いの無いことだろう。
元々カダフィは捕らえるか殺すか、反カダフィ派でも意見は分かれていた。
その中の数人、あるいは数十人が直接行動に出たとしても不思議なことではない。しかし、正義の戦いをしてきたリビア人にとって誰がカダフィを殺したかは大した問題ではない。誰が、ではない。正義が殺したのだ。だから死んだ、とだけ報道され、死因は明らかにされない。
ここ日本で、人を殺すことは悪だ悪だ、民主化の道は程遠いなどと、ああだこうだと言い並べるのはただの傍観者の戯言だ。遠く離れた日本で、リビアのカダフィの影響なんてほとんど受けていないくせに、殺した途端にああだこうだと並べる態度はリビア人から見ればフザケた態度にしか見えないだろう。
だから俺は、利権や機密隠し、カネ絡みで死因が公表されないというよりも、リビアの『正義』がそうさせているのだと思わずにはいられない。
人を殺すことが悪だ、野蛮だと傍観者が当事者の気持ちもわからないくせにああだこうだと言うのは、逆説的に言えば当事者たちの気持ちを踏みにじっている行為ではないか?
俺はこの仮説を考えたとき、ふとそう思った。