『責任』というものが重すぎる時代 | AQUOSアニキの言いたい放題

AQUOSアニキの言いたい放題

徒然なるままに俺自身のネタや、政治・社会ニュースへの辛口コメント、最近観た映画の感想とかを書き綴ります。

たまーにブログのデザイン変更とか自作ブログパーツを出したりします。「ムホホ~♪」

最近、新聞でもニュースでも、この『責任』というフレーズがとても多く目につく。職場でもだ。
『責任』という言葉が頻繁に使われるようになり、見えない風潮化している気がする。

上司が部下を脅し付ける台詞でも使われるし、政治家たちの国会審議や質疑応答でも頻繁に使われる。

この『責任』ブームの裏側にある風潮は何か?

俺には、『みんな責任を取りたがらない』という意識が植えついてしまっている気がする。『責任』と『自信・誇り』というのは親戚みたいなもので、そういうのがこのブームによって失われている気がするのだ。
脅し付ける枕詞のように『責任』という言葉を使うのはいかにも使っている当人が自信が無いように見えてしまうのだ。これでは『はい、はい』と首を垂れて表向きうなづいている部下も、心の中では舌を出していて当然だ。

相手の目線になって考えようとする、そういう意識が欠けている気がする。