突風が、あたしの体を突き抜ける。鳥になったように、広がる視界。銀色のゲレンデに舞うあたし。地上では味わえないこの感触、この感動。飛ぶ瞬間のドキドキが堪らない。
スキー部のジャンプ競技の選手、あたしこと杉野美幸(すぎの みゆき)は、大学の合宿に来ていた。
ゴーグルと帽子を外して、茶に染めた髪が露出する。雪が少し舞う大空に向かって、あたしは笑顔を向ける。
―また、あたしの恋する季節がやってきた。
スキーを始めたのは小学生の頃から。最初は滑降が怖くていつも泣いてた。高いところが怖くて、リフトにも乗るのが嫌だった。兄の影響で無理矢理滑らされた。最初は泣きながらだったけど、だんだん空気を切る感触が好きになって、ハマッた。
そうして趣味で遊ぶだけのスキーをしていたのだが、転機となったのは高校生のとき。ジャンプ競技の面白さに目覚めてしまった。ストックなしで滑降、勢いよく滑り、ジャンプする。風に乗って、どこまでもいけそうな感覚。まるで風と一体になったかのような感触が堪らない。風に抱かれているような心地よさ。いや、あたしはきっと抱かれている。嫌な気持ちも、新記録を取ったときの喜びも、風と一緒に居たからだ。あたしはそう信じている。そう、あたしは恋をしてる、―風に。
合宿から戻って夕食を済ませてくつろいでいたとき、スキー部のマネージャ、野依大介(のより だいすけ)から声が話があると呼び出された。
『付き合ってくれないか?美幸のことが、好きなんだ』
あたしは戸惑った。こっちの恋は今、全然する気が無いのだ。
あたしの恋人は、…クス。
ちょっと笑ってから、返事をする。
『ごめん、あたし恋人がいるんだ』
『だ、誰だよ?そんな素振り、全然無かったじゃないか』
『ごめんね、魅力的な彼、なんだ』
大介はムスッとした顔で帰っていった。まぁ仕方ない。ごめんね大介、あんたがどんなに頑張ったって、彼の魅力には敵わない。ジャンプが出来るのはもう限られた時間しかない。あたしも卒論も就活もあるし、彼と付き合えるのは限られてるのだ。
―だから大介、あんたには悪いけど、彼と恋をさせて?
翌日の練習。大会を控えての練習に熱が入る。あたしは絶好調だった。自己ベストを更新し、体調も万全、テンションも最高だった。自分のイメージと風の感触が一致する。凄い。こんな感触、いつ以来だろう?
あたしはどこまでもいける。どこへだっていける。あなたと一緒なら。
今日最後の滑降。イメージは出来た。万感の想いを込めて、飛ぼう。勢いよく滑り降りていく。重心は前へ、前へ。耳鳴りの滑降音が消える。あたしは空へ。いつもより高い。そして角度もいい。自己ベストを確信した。
滞空時間はごくわずか。ごくわずかの間、あたしは彼に抱かれる。今なら言える。今なら、想いを遂げられる。
―ねぇ、あたしも連れてって?あたしも、風にさせて?
想いの丈を込めて、彼に告白した。
―!?
グラッとバランスが崩れる。ヤバい、落ちる。
…失速した。重心が定まらない。これはヤバイ落ち方だ。
―あたし、ヘタしたら死んじゃうかもな。そして、あたしは…迫り来る雪面へ…墜落した。
『おい!杉野!起きろ!起きろ!』いきなり揺さぶられる。もっと優しく揺らしなさいよ、馬鹿!
ムカつき加減がハンパない。抗議してやろうと思って目を開けたら、大介がいた。
『怪我は無いか?』
そうだった、あたしは墜落したんだった。気がついたら、どこも痛みは無い。無傷で済んだみたいだ。
あたしがコクリとうなづくと、『そうか、良かった。でも念のため、戻ったら医者に診てもらおう。なぁに、大会には出られるさ』
あたしと大介はゲレンデを歩いていく。
『大介、あたしね、さっき彼にフラれたんだ』
『え?そ、そんな奴どこにもいなかったじゃないか?』
『いいの、あんたは黙って聞いてりゃいいの。ねぇ大介。昨日の話だけど…』
大介が黙り込む。
『大会が終わったら返事するわ。自己ベスト出したら付き合ってあげる』
『そ、それってつまり…』
大介もあたしの大会への意気込みは知っている。あたしの熱意をずっと間近で見てきたのだ。
『勘違いすんな。あたしは、人生かけて最高のジャンプしようとしてんだから!』
(完)