【市橋容疑者】殺意の有無って、確認する意味あんの? | AQUOSアニキの言いたい放題

AQUOSアニキの言いたい放題

徒然なるままに俺自身のネタや、政治・社会ニュースへの辛口コメント、最近観た映画の感想とかを書き綴ります。

たまーにブログのデザイン変更とか自作ブログパーツを出したりします。「ムホホ~♪」

この市橋容疑者の裁判に限った話じゃないけど、いちいち殺意があったかなかったかって、焦点にしなきゃいけないわけ?

そりゃ、正当防衛または緊急避難で人を死なせてしまった場合とかもあるから、事故の可能性も含めて、殺意の有無を考えなきゃならないっていう理由はわかる。わかるんだけどさ、形式過ぎじゃないか?

だって、相手は絞殺されたんだろ?どこをどうしたら殺意が無いって解釈になるわけ?絞殺っていうのは、相当力を入れつづけないと出来ないんじゃないの?
じゃあどうみたって殺意ありじゃん。いちいち議論するまでもねーわ。

時間の無駄じゃん。死因から殺意があったかなかったかくらい、わかるような気がするんだけどな。

なんか無駄なところから裁判始めてる気がする。