今日のニュースの事件だ。38歳の会社員が、出会い系サイトの書き込みで『大量殺人をしたい』と書き込んだことが発覚し、警察に通報、書類送検となった。
動機は、『友達がいなくて、人に注目されたかった』だそうだ。
この報道に対して、ニュースのコメントは実に冷ややかな反応だ。
『こんな書き込みするような奴に友達なんか出来っこない』
『そんな性格だから友達が出来ないんだ』
『性格直せ』
『最近こんな書き込み増えたよね。迷惑ばかり撒き散らすだけの奴はさっさと逮捕されればいい』
などなど。
書いた本人が犯行を実行するほど本気だったのかはさておき、こんな書き込みをしなければならなかったのはどうして?と考えたコメントは見られなかった。
こんな『犯罪予告』のコメントは秋葉原連続殺傷事件を彷彿させるだけに世間が敏感に反応する背景はよくわかる。よくわかるのだが、『なぜこの人はこんな書き込みをしたのだろう?』という疑問には誰ひとりとして踏み込もうとしないのは、俺にとっては疑問だ。
心が健全なら書き込まない?友達が居れば書き込まない?性格がキモいから書き込んだ?誰ひとり相手にしないような性格だから書き込んだ?
そんな風な一方的な判断で決め付けられる風潮に、俺はむしろ、コメントする側のほうが怖いと思う。
この人はなぜ書いたのだろう?心を通い合わせられる人が居なかったからではないのか。そんな人が自分の周りに居なかったら、同じようなことをしたかもしれない。
俺は時々、今まで自分が生きてきた軌跡が、全く価値の無いものに見えてしまうことがある。この世で自分が最も価値が無い人間のように思うこともある。
でもそれは、悪いことなんだろうか?そう思ったところで、書き込んだ人は少し道を踏み外しただけなのでは?
この人はどんな思いで、なぜ書き込みをしたのか?話を聞いてみたい。その寂しかった気持ちを受け止めることが出来ればと思う。