「偉そうなことを言ってこのザマか!」ネタ①
なんだよ!
前の首相のあの発言は!
ペテン師とか言う前に、自分を省みたんだろうか?
恥知らずとしか言いようが無い。
あんな発言は認められない!
沖縄県民の前で、ペテン師発言してみろ!
そしたら認めてやる!
「偉そうなことを言ってこのザマか!」ネタ②
俺、もう仕事辞めたい。パタパタと入っては辞めていく、そんな悪循環ばかりを見せられて、いじめや無視とか見せられて、罵声も理不尽な仕打ちも受けた。入院とか通院とか、そんなシーンも見せられた。
「それが世間というものだ」と言えば簡単にカタがつく。でもそれって、現代の抱える不条理さを正面から見ようとしないってことじゃないの?
でも、それは俺にも言える。偉そうなことを言って、このザマだ。俺は過去の自分の言葉を忘れようと、聞かなかったフリをしようとしている。
どうしたらいいんだろうな。いったい、どうしたら・・・。
「偉そうなことを言ってこのザマか!」ネタ③
①とか②について、考えて思ったんだ。誰も彼も、みんな同じなんじゃないのかって。ネットのコメントではみんなボロクソに言うけれど、本当はみんな、責任なんて取りたくないんじゃないの?それでいて、責任を取ることは他人に強いる。本当の「無責任」って、どっちなんだろうってね。俺はそういう人間を間近で何人も見てきた。もちろん、自分自身も含めて。
いやいや、こんな発言したからといって、「ペテン師」発言だの、現首相の政治姿勢を擁護してるわけじゃない。
ネットやマスコミが取り上げている「責任論」って、過剰に意識しすぎなんじゃないのかって。責任ばかりを強調しすぎて、本当に必要な材料を見失ってるんじゃないのかな。「材料ってなんだよ」って?そりゃ原発や震災を収束させるために必要な対策とか、協力のこと。
首相の「原発問題が収束したら首相を辞める」発言について、「俺がもし首相の立場だったら」で考えてみた。
確かに、時期もあやふやで具体的にどう対策して、どうなったら辞めるということまでは言及していない。
でも責任論ばかりをクローズアップして、責任の所在ばかりが前に出てきて、対策そっちのけの風潮を作り出しているのは、マスコミであり、首相の周りの人間であり、野党でもある、という風にも受け取れるんだ。周りが全部こんな状態だったら、首相は、責任を前に出した発言しか出来なくなるんじゃないか?
だからこそ、野党としては、「では、こちらとしても原発対応に協力します。ですが、原発がどの段階になったら収束と言えるのか不明なので、原発がこれこれの段階になるまで協力します。協力するかわりに、この状態になったら首相を辞任してください」と歩み寄りを見せてもよかったのでは?
責任論ばかりを押し付けていては、首相はいつまでたっても責任ありきの発言しかしない。責任を取ることばかりにウェイトを置いて考えてしまう。それは野党としても不本意な結果じゃないのか?ならば、ある程度の歩み寄りは必要で、その結果が被災者にとって良い結果になるなら、それでいいじゃないか。
ま、そんな風に思ったんだ。