【Episode5 「手紙」と「脅迫者」】うみねこのなく頃に散 | AQUOSアニキの言いたい放題

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※この記事は”うみねこのなく頃に”を直接ネタバレして解答したものではなく、アクオス個人が勝手に考え、勝手に答えを出しただけのものです。「うみねこのなく頃に散」を題材に書いています。読む過程で推理しつつ記事を書きますが、「散」は解答編に相当するものなのでネタバレに踏み込むかもしれないことをご了承ください。


もう一度Episode5を読み返すことにしました。最後まで読んだEpisodeはチャプター機能が使えるみたいですね。これはちょっと嬉しいです。

気になった部分を何度も読み返して、考えてみることにしましょう。


今回からEpisode5を最後まで読み終えたということで、俺なりに「第三の真相」というものに迫ってみようと思います。もちろん、「人間犯人説」で。


やはり最初は、キーとなった「ノックと手紙」でしょう。「指輪が封筒に入ってるんだから封蝋が付けられない。だから作成不可能だから手紙自体が存在できない!この事件自体が発生しない!」という解釈はさておいて。


原作では封蝋については特に記述がありませんし、単純に文房具の糊で接着しただけという解釈もありえます。よって、この解釈は棚上げしておくとします。


では取り掛かります。




まずポイントは、

「ノックをした人物は誰か?」

「手紙を置いた人物は誰か?」
「夏妃を脅迫した人物は誰か?」


これら3つの行動が同一人物のものであると勝手に解釈するわけには行きません。


ノックは、手紙を見つけてもらうためと解釈することが出来ます。そうでなければ、姿を現すのが通常です。イタズラとも解釈できますが。


まず、「ノックをした人物」=「手紙を置いた人物」と考えて間違いないでしょう。


では次。「夏妃を脅迫した人物」≠「ノックをして手紙を置いた人物」と俺は考えています。別々の人物です。


状況から考えて、「脅迫者」は源次に取り次ぎの電話をしています。源次は夏妃に電話があったと直接伺っているわけですし、「脅迫者」はいつ電話を取り次ぐのかわからない状態です。つまり、電話から離れることが出来なかった


0時前から電話をかけて、夏妃と会話をすることが出来たのが0時過ぎ。この間、「脅迫者」は電話から離れることが出来なかったし、0時の時点で、「ノック音」があった。

ということは、「脅迫者」は「ノックをして手紙を置いた人物」とはなり得ないのだと考えられます。


では手紙を置いたのは誰か?


食堂内にいた人物ではない。(戦人・絵羽・秀吉・留弗夫・霧江・楼座・嘉音・紗音ではない)

蔵臼・夏妃・源次ではない。(電話の取次ぎがあったから)


となると、ゲストハウスにいた人物でしかあり得ない。いや、居たと思われる人物しかあり得ない。


指輪を封筒に入れられたということは、手紙を書いた人物は金蔵の死亡を知っている人物以外ありえない。


となると、熊沢か、南條のどちらかか?最有力なのはこの二人。次点で郷田。あとは朱志香か?


いやその前に、もう1つクリアしなければならない壁がある。時刻だ。


時刻の”アリバイ”を崩さなければ手紙は置けない。何度か、古戸ヱリカが「ノックと手紙」について推理しているシーンを読み返したが、1つだけ、「ノックと手紙」が置ける可能性があることを見出した。


それは、

大ホールの鐘の音が、本当に0時を示すものだったのか?


これについては、赤き真実で何ら触れていない。つまり、ノックをして手紙を置いた”犯人”によって時刻をズラされている可能性がある


屋敷内にいた人物全員が、0時だと誤認した。1986年は、携帯電話もなければ電波時計もない。屋敷内の時計がどうなっているのか、何個あるのか、そんなことはわからないが、細工されていた、あるいは元々ズレていた可能性もある。

いやもしくは、戦人が碑文を解いた時点で、仕掛けが働いてその影響で時計がズレた可能性もある。


赤き真実の「24時」というのは真に24時のことを指すのだろう。しかし、屋敷内にいた人物が体感した「24時」と、赤き真実の「24時」が異なる可能性がある。


俺にはこれしか思いつかない。「24時」の時点では屋敷内外を問わず誰にも「ノックと手紙」が出来ない。では屋敷内の人物が体感した「24時」は、実際には「24時」ではないと考えたのだ。


それから、「親族会議開始後、屋敷外の人物は何の行動も出来ない」と赤で宣言されているが、「親族会議」の解釈は、親族が揃って会議するもので、「ノックと手紙」の時点では蔵臼が欠けていた状態だった。そして、食堂内は嘉音・紗音を交えて談笑(世間話)をしていたもので、それは親族会議とは呼ばないのが通常だろう。


今回は、「誰が手紙を置いたのか?」については結論を保留する。

時刻がズレていた可能性を指摘するまでに留めておく。