これから、俺の思ってることを記事にする。
洗いざらい書きたいんだ。
正直、自分の心の内を書いたことで後々不安な気持ちになるかもしれない。
そんな風にも思う。そんなときは削除すればいいだけだもんな。
だから、聞いてくれないか?
俺は、1人でいるのが好きなんだと思う。
誰かと一緒にいるのが当たり前、好きな人がいて当たり前。
世の中の流れがそんな風になっていて、無理やり自分もそう思うようにしてた。
だけど、基本的には1人で考え事をしたり、ひたすら没頭するのが好き。
普段何気ないものに目を向けて考えたり、くだらないことでもアイデアを出そうとするのが好きだ。考えることが好きだ。誰が何と言おうとも、俺は好きなんだ。
俺は、きっと集団の中でやっていくには向いてないんだと思う。
人に自分の考えを話そうとしたらうまく伝わらなかったり、
言われたことを覚えられなかったり、
質問にぶつかると頭が真っ白になって、覚えていたはずなのに答えられなかったり。
どうしてだろう?友達や、家族と話すのはぜんぜん平気なのに、社会に出たらいきなり通用しなくなった。
「自分の世界に入るな、世の中にもっと目を向けてみろ。」
励ましの言葉のつもりなのだろう。言われたことがある。
わからない。自分が色々なことについて考えることがなぜいけないのか。目を向けたら何かあるのか。その先に何かあるのか。
俺は別に外の世界が嫌いなわけじゃない。街に出ることも好きだし、遊ぶこともする。十分、目を向けてるんじゃないのか。
誰かと一緒にいなきゃいけないのか。俺にはそれがわからない。そう思う一方で、寂しいと思う自分がいる。矛盾してる。
1人で没頭したいと思う自分と、誰かに伝えたいと思う自分。やっぱり矛盾してるな。
俺は頭が悪いんだろうか。みんなが当たり前に出来ることが、当たり前に出来ない。
当たり前にやろうとしてることを、考えながらやろうとしてる。手際が悪いと言われる。
みんなと歩調を合わせろと言われる。仕事だからな。当たり前だ。
合わせようとしてるんだけど、合わない。まるで、合奏で1人だけテンポが悪くて全体の演奏が悪くなってるみたいに。
意識してるんだけど、合わない。足を引っ張ってしまってる。
出来損ないなんだろうか、俺は。わからない。
正直に話すと、これまで仕事でいくつか回ってきたけど、ほとんど成果が無かったと思う。自己評価で。
それなりに認めてくれた人もいたと思うけれど、俺にはわからない。褒められてるのか、デキが悪すぎて励ましてるつもりなのか。裏返しの皮肉なのか。
周りの人の口から出る言葉が信じられなくて、どうしてもわからないんだ。
社会に出て何年も経つのに、どうしてうまくいかないんだ。やっぱり自分が原因なのか。自分の在り方が原因なのか。
他人の考えを本やニュースや映画を通じて知ったり、会話したりするのは良い。
否定はしない。ダメだとも言わない。アイデア出しや、悩みを共有するのは良い。
でも、俺自身に向けられる言葉がどうしても信じきれない。励まされたり、同情されても信じられない。
その一方で、けなされたり、こき下ろされたりすると真に受けてしまう。
自分が社会でうまくいってないと思ってるから、悪口こそ真実味があるんだと思い込んでしまう。
他人が生んだ冗談が冗談でないように思ってしまう。思い込んでしまう。
あからさまな冗談だとわかっていても。
だから騙される。甘言を受け入れてしまう。どうしてだろう。
家族にも、このことは明かしていない。明かせない。友達にもだ。
距離が近しいほど明かせないことだってあると思う。明かしたくないことだってあるんだ。
一度だけ、どうしても抑え切れなくて、弟に打ち明けたことがある。
尊敬してる父親の未開封のタバコを思いっきりぐしゃぐしゃにして、ゴミ箱に投げ入れ、二人しか居ないリビングで、本音を打ち明けた。
普段それほど会話もなく、同じ部屋でお互いの時間を過ごすだけの兄弟だったのに、このときだけは本気でぶつかってくれたんだ。兄に怒るなんて一度も無かったのに。
修飾もお世辞もなく怒ってくれた。俺にはそれが意外で、それでいて嬉しかったんだ。
どうすればいいんだろう。社会不適格と烙印を押される自分が怖い。
それでいて、もう我慢しなくてもいいんじゃないかと思う自分もいる。
誰かと一緒に居たいと自分を無理やり思い込ませなくてもいいんじゃないかと思う自分がいる。その一線を越えたら社会と切り離されるんじゃないかと思う自分もいる。
どうして、こんな風に考えてしまうんだろう。
俺が間違っているのか。こう考えることは社会にとってタブーなのか。
俺は一体、どこへ向かえばいいんだろう。
でも俺は、自分を否定したくないんだ。自分が自分を否定したら、誰が認めるんだ。